もうひとつの
激痛物語
第17話


◎エピソード

それからチョッキ型のギブスが取れるまで3ケ月位掛かったでしょうか。
その間の喜怒哀楽のエピソードを2、3ご紹介します。
当時の入院患者の主な者は前にも紹介した漁船員や、炭鉱夫の他に
私のような一般人、子供等が主でした。
当時は今のように、交通事故特にバイクの事故は殆ど有りませんでした。
乗っている人が少なかったからです。
その中でも骨髄炎の子供で、
リハビリの入浴中に骨盤が割れてしまったり、
私の同室で、やはり骨髄炎の高校生は左腕の切断を余儀なくされました。
当時の田圃などの埋め立てには、
石炭を蒸し焼きにしてガスを取った後の滓、
つまりコークスを使っていましたが、
その埋立地の上でキャッチボールをしていて玉を取り損ね、
転んだ拍子に左の肘をすりむいたそうです。
単なるかすり傷程度でしたが、
1週間程後左腕がむくんできて入院の結果が
こういうことになってしまいました。
コークスには金属の燃えカスなども含まれていて、
それが刺さったのではとのことでした。
何処に危険が潜んでいるか要注意ですね。

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