もうひとつの
激痛物語
第8話


◎1年の治療が始まる

病室は一般用の6人部屋でした。私のベットは一番手前の右側です。
左側の一番奥の窓際のベットは、、、カ-テンが開かずのベットでした。
青森には、八甲田雪中行軍の遭難事件以来、自衛隊(当時は軍隊)の駐屯地があります。
後で聞いて判ったのですが、その開かずのベットに居た青年、これも後で判った事ですが、私と同い年の23歳でした。
自衛隊の演習中に、迫撃砲の砲筒の反動で跳ね飛ばされ、運悪く腰を打って下半身不髄の診断を受けていたのでした。
秋田出身の彼には母親が付きっ切りで、看病していました。
まだ結婚はしていなかったようです、、、。
後日、私が結果として手術をせざるを得なかったのですがこの時のこの下半身不髄の彼のことが気になり1年にもわたる治療を要することになるのです。

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