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ヘルニアレポート61
投稿者:ヨッシーさん
07/06/21
○ヨッシーのヘルニア人生 その2





手術の日程もトントン拍子に決まりました。


一番気がかりなのは、幼稚園に行っている娘の事。


婆ちゃんに(母)娘を託し、いざ出陣!!!


(その時はまさか大掛かりな事になるとは 思ってもみませんでした)





入院の時は 主人と子供がついてきてくれました。


616号室。


6人部屋でした。


手術の一週間前に入院をしてコルセット作りから、肺機能の検査。


血液検査、レントゲン撮影といった一通りの検査を済ませ、


寝て食べる練習や車椅子の練習をして気が付くと術前の説明の日でした。


主人が一緒に聞いてくれました。





70%よくなれば 成功だという事。


外来時での説明では、自骨移植の固定術というお話しでしたが、ヘルニアを取るだけの手術をする事。


出来たら顕微鏡での手術にしたいけどムリやったら開けてヘルニアを取ります。


もしかしたら輸血も必要かもわかりません。





一時間近くお話しをしてくれました。


同意書にサインをして後は手術を待つばかり。





さて、手術の日。朝、8時には部屋を出るので子供も主人も両親も5時に起きて来てくれました。


(感謝・感謝)車椅子で手術室まで行き、麻酔科の先生が


「ヨッシーさん5秒で眠たくなりますよ。今から麻酔の液を点滴から入れますからね」


確かに5までしか覚えていません。


「ヨッシーさん、ヨッシーさん 終りましたよ」と言う主治医の声。


揺さぶられる体。


実は お花畑で子供と走り回っている夢を見ていた私。


先生の声で現実に戻されました。


ドンヨリとした重たい空気がそこにはありました。


お昼には手術が終っていました。





ベッドにて病室までもどり、入院の担当医が 取ったヘルニアのホルマリン漬けを見せてくれました。


家族の顔がそこには ありました。


暫らくは 動けません。


熱も少しありました。くなったら座薬を入れてもらいひたすら寝ていました。


2日ほど主人には 泊まってもらい両親と子供は 家に帰ってもらいました。





手術前に仲良くなったAさんが


(男性・ヘルニア暦ン十年 今回3回目の固定術。ちなみに主治医の先生も3人目だそうです)


心配して見にきてくれました。


今回は ヘルニアを取っただけだと話すと


「だったら大丈夫や。みも少ないやろう」


と 励ましてくれました。


後で聞いた話ですが、Aさんも最初の手術は ヘルニアを取っただけだったようです。


その後10年ごとに悪化して次々固定をしていっているようです。





ところが そのみは 予想外の展開を示しました。


悪いところは左の腰です。


手術をしたのも左の腰。


でも車椅子に乗れるようになってから嬉しげに洗濯やらトイレやら頭を洗ってもらったりして


負担をかけすぎたのか足がくなり、誰の目にも 腫れていると確認が取れるようになりました。


そこからリハビリもうまく出来ずに同じ頃に手術をした人の事ばかり気になっていました。





風かとも思い、血液検査をしても数値に異常は見られず、日にちばかりが過ぎていきました。


主治医の先生が


「ヨッシーさん。そろそろ転院しませんか?


本当なら紹介してくれた元の病院へ転院してもらうんが えいんやけどその体じゃあ心配やから、


検査入院をしたH病院で暫らく様子を見させて」


日にちも先生が決めて主人に迎えにきてもらい、泣く泣く大学病院を後にしました。


まだ まともにあるけないんよ!





続く





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