もうひとつの
激痛物語
第1話


◎火事だ

前回チョツト触れました「腰部くも膜憩室」
とは、正確には「腰部くも膜憩室炎」と言うそうですが、これについては、後日詳しく報告します。
私が、そもそも23歳で、何故「髄間板ヘルニア」を患わなければならなかったのか。
あれは、昭和39年の11月も末のこと。
霙(みぞれ)降る夜半の青森での出来事でした。
私は、福島県のある市の生まれ育ちですが、高校を卒業して、最初の勤務地が東北の北端、青森の表岸壁にあった、ある会社でした。
その会社の独身寮が、青森駅の裏手に有ったのです。
その寮の3軒隣にあったクリーニング店から、夜半の12時半頃火災が発生しました。
ドライクリーニング用のベンジンに燃え移り、この時の炎の色は今でも忘れない、真っ赤な赤、あれが紅蓮の炎とでも言うのでしょうか。
それは見事な赤でした。
その時の火事は、朝の4時過ぎまで、約50軒位焼失したと記憶しています。
10数人いた寮生で救助隊を組み、助け廻った中で、ある家の台所の茶箪笥を、中身が入ったまま持ち出したのでした。
約50kg位あったでしょうか。

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