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○兄の病気体験の話


アイタタレベル


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私には3人の兄がいます。


つまり私は男ばかり4人兄弟の末っ子というわけです。


本当は2番目の兄と3番目の兄の間に女の子が生まれて


生後半年くらいで亡くなったそうです。


それはともかく


この兄弟は申し合わせたように大学を出てから全員公務員になり


長兄は教職でしたがあとの二人の兄は中央省庁に勤めました。


このうち私のすぐ上の兄は途中で民間企業に引っこ抜かれ


その後も別の企業を経て現在は一種のベンチャー企業を起こして経営しています。


この兄が実は私とよく似た病気の体験を持っていたのです。


それはこの兄が二つ目の企業の部長職として勤めていたころだったと思いますが


大阪の取引先の経営者と二人で熊本へ出張していたときだそうです。


この頃兄は既に日常から手足に痺れやみを感じていたそうで


少々楽になるのを期待してのことでしょう


出張先のホテルでマッサージを頼んだわけです。


ところが兄は楽になるどころか、翌朝は足腰の激しいみに襲われ


立って歩くことすらできなくなってしまったのです。


兄の友人でもある取引先の経営者が、車椅子を手配してくれて


空路大阪へつれて帰り


空港からその足で大阪府立病院へ直行して診察を受けさせてくれました。


結果は、脊椎骨の神経が通る穴が狭くなっていて神経を圧迫している


(これが「脊柱管狭窄症」という名称であることは


O整形の私の診察のときに理解できたわけですが)


ということで


脊椎骨の切開手術を行い別の部分から切り取った骨の一部を埋め込んで


結果的に穴を拡げて神経を圧迫から解放したということのようでした。


このときは手術後2週間ほどして私も長兄と一緒に見舞いに行ったのですが


そのときは起きて歩けるようにはなっていましたが


首にはいわゆるむち打ち症患者がするようなコルセットを装着していました。


私たちが行ったときがお昼前あたりで


ちょうどお世話になった兄の友人が近くの蕎麦屋から


わざわざ丼ものだったかを兄のために買ってきてくれていました。


その頃病院食も運ばれてきていたのですが


兄は友人が運んでくれた丼を半分ほど食べ


(コルセットのせいか随分食べにくそうでした)


付き添っている兄嫁に渡していました。


このときは、兄のことを病気とはいえ


随分我が儘なんだなあと思ったものでした。


10年ほどして自分がよく似た病気で入院することになるとも知らずに…。


もちろん最近になって聞いた話ですが


このときの兄の手術は首の後ろを大きく切開し


(見た感じ15センチくらいの傷跡が残っています)


手術後1週間は寝たきりで仰臥するのみの状態だったらしいです。


「天井のシミの模様まで憶えてしまうほど」


だったと言っていました。


入院2ケ月ほどでの退院で


退院日には大阪まで私が車で迎えに行ってやりました。


それから10年ほど経ちますが、今は普通に日常生活を送っていますが


パーフェクトに元通りの運動機能は戻るところまでは


いっていないように思えます。


もっとも現時点での私の状態よりはよくなっているような気がします。





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