ドンタコス通信
ドンタコス通信


やあ、みんな元気にしてたかな。
先週も訳あって、お休みしたけどN村は元気にやっているぞ。
じゃあ、今日もドンタコス通信の始まりだ!!


7月22日
7月22日は何の日かというと実は、N村の26.5歳の誕生日なのです。
いやー、おめでとう、どうもありがとう。
そういうわけで、今日はリッチにコンビニでシュークリームを買ってきまし
た。


富士山 その1
17・18日の2日間で富士山に行ってきました。


富士山 その2
N村は折角、富士山に行くのだから山頂にあるという郵便局から、暑中見舞
いハガキを出そうと考えました。しかし、重大な問題がありました。N村の
習慣である自作の木版画ハガキを刷る時間がないということです。既に期間
は2週間をきっています。
それでも、なんとかなるだろうと思って作業を開始しました。しかし、残り
1週間をきった日曜日の深夜になっても、まだ終わるメドがたっていません
でした。
仕事が忙しくて帰ってくるのが0時ぐらいなので、どう計算しても、普通に
やったのでは間に合いません。仕方がないので、夜間作業命令が発動されま
した。
夜に作業を行なうので、どうしても寝不足になってしまいます。それを補う
為に、昼と夕方の休み時間は御飯を食べずにひたすら眠りました。
月曜日は3時、火曜日は3時30分、水曜日は4時まで作業を行ないました
が、それでもまだ、完成しません。それどころか、富士山前日の金曜日まで
夜間作業をしなくては間に合いそうにもありません。
もう、あきらめようかと思いましたが、あきらめの悪いN村は木曜日も4時
30分まで作業を続けました。
そして金曜日、無事に完成したのは5時30分でした。
その後、コンビニに行って朝御飯を買ってきてから、宛名を書きました。


富士山 その3
徹夜で完全に集中力が切れた頭にムチ打って、どうにか登山道具のパッキン
グをして家をでました。忘れ物が無いことを祈るばかりです。
集合場所に早めの時間に着いたのですが、さすがに、1週間分の寝不足と疲
労が身体を襲ってきて、まともに立っていられませんでした。
みんながボチボチ集まりだした頃、目の前を富士山に一緒に行くはずだった
某F原氏が走っていきました。某F原氏は仕事で行けなくなったのですが、
律儀に集合場所には顔を出してくれたのです。その割には、一言のあいさつ
もなく、通りすぎていったのが残念です。


富士山 その4
電車とバスで五合目に到着するまで、N村はひたすらに眠りました。さすが
に、いくら人間ではないとはいえ、人間の肉体を使用しているからには、疲
れからは逃れることはできないのです。
五合目でかなり高いカレーライスを食べて、栄養を補給してから出発しまし
た。
途中、N村は単独行動をとり、一人先行しました。我ながら徹夜明けとは思
えません。周りの登山者達に適当に声を掛けながら、ズンズン登っていくと、
日本人の女性と外人の男性のペアに出会いました。
N村がぶっ壊れた片言英語と日本語を混ぜながら、時々女性に通訳してもら
いつつ、外人さんと話しをしました。どうやら、この二人組みは宿の予約を
取らずに来たらしいのだが、頂上まで、いくかどうか悩んでいるようでした。
その後、N村は他のメンバーを待つために休憩したので、二人は先に行って
しまったのですが、二人が途中で下山するにせよ、頂上を目指したにせよ、
心配なN村でした。
断っておきますが、N村は英語が話せるわけではありません。外人さんが結
構日本語の分かる人なので、会話が成り立ったようなものです。


富士山 その5
いったんは、他のメンバーと合流したN村でしたが、すぐにフラフラと単独
行動にでてしまいました。つくづく団体行動の苦手な男です。
七合目を超えるとさすがに酸素が薄くなってきて、ペースがかなり落ちてき
ました。
そんな時、目の前をフラフラになって歩いている女性がいました。このまま、
ほっておけば倒れるんじゃないかと思うくらいに、疲労が溜まっているのが
分かりました。
話しかけると、富士山は初めてで、しかも、一人で来ているという事でした。
人間、肉体的や精神的にキツイ時に、一人ぼっちというのは、つらいもので
す。しかも、他人とはいえ周りに人が居るのに誰も助けてくれないとなると、
自分が世間から見捨てられたような気分になってしまいがちです。
N村はその女性の後ろに立って、リュックを下から支えてあげました。最初
はリュックを持つ事を提案したのですが、見事に断られてしまいました。
後はN村にできる事はただ一つ、声を掛けて励まし続ける事だけです。
話しをしていくと、偶然にも同じ宿だったので、二人で宿を目指しました。
この人とは、この後、下山まで行動を共にしました。


富士山 その6
宿に着いら、早速、晩御飯がでてきました。メニューはまたもやカレーライ
スでした。しかも、5合目で食べたものと同じ味がしました。
宿で仮眠をとってから0時ぐらいに出発する予定になっていました。
宿とはいえ、山小屋なので狭いのは覚悟していたのですが、そこはN村の想
像をはるかに超える場所だったのです。そこでの寝る方法というのは一人が
腕を下にして寝ます。そのすぐ後ろに別の人が、先の人とは頭と足の向きを
逆にして、背中にくっつくようにして寝ます。以下、これを交互に繰り返す
のです。もちろん、仰向けやうつ伏せはできません。
なんだか、効率良くパック詰めされてスーパーで売られている「ししゃも」
にでもなった気分です。
こんなんでは、寝れるものも寝れなくなるぞ、と思っていたら右足が見事に
ピッキーンとつりました。しかし、スペースがないので動かすこともできず
に必死にこらえていました。
どうにか、右足は回復したものの、暑さと酸素が薄いために全然寝つけませ
んでした。


富士山 その7
全然、寝れない仮眠をとってから、山頂目指して出発しました。途中、眠い
せいか、高山病なのか分かりませんが、後頭部にキューと締まるような痛み
が何度がありました。さらに登りながら瞬間的に意識を失うこと10回ほど、
無事に山頂まで辿り着きました。
山頂がまた寒いのなんのって、はっきり言って反則です。
みんなで、サブイーと文句を言っているうちに、御来光が見えてきました。
最初は曇っていていまいちだったのですが、5分ぐらいすると、いかにもと
いう感じの御来光になりました。
さて、山頂に来たので、大事な目的のハガキを出そうと思ったのですが、肝
心の郵便局が見当たりません。近くの人に話しを聞くと、ちょっと離れたと
ころにあるそうでした。
郵便局への道を探したのですが、どこから行けばいいのか分からずに、迷っ
たあげく、富士山登山隊長の平Tさんに連れていってもらいました。おかげ
さまで、無事に暑中見舞いのハガキを出すことができました。


富士山 その8
下山する頃には、ほとんど2連徹の疲労がずっしりと圧し掛かり、頻繁に休
憩しては数分の仮眠をとって、どうにか下山しました。おかげで、下山して
いる時の大半は意識があっちの方へ行っていました。
そして、無事に5合目まで降りてきました。
今回の隠れた目標であるトイレはできるだけ使用しないというものは、17
日に家を出て、18日に八王子に帰ってくるまでトイレには1回も行かなかっ
たので無事に達成できました。
徹夜明けの富士山はきつかったが、フルマラソンよりは、ましだと思いまし
た。


いいかげん、眠くなってきたので、今回のドンタコス通信はこれで、おしまい
です。(もうすぐ、3時です。)
本当は今から、面白く読めるように、ちょいちょいと手を加えるのですが、時
間ないので、このまま送信します。しかし、一緒に行った人が居ると、思い
きって内容をアレンジもしづらいので、困ったもんだ。
では、また次回をお楽しみに。


ドンタコス通信990709号
ドンタコス通信990727号
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