image

image

ヘルニアレポート55
投稿者:ヨッシーさん
07/04/01
○ヨッシーのヘルニア人生 その1





ある日、腰がくなった。


(なんか変)と思い主人に相談。


持ちの主人は


「早く病院へ行って来い!!!」


近くの総合病院の整形外科を訪ねると・・・


主人の心配通り 腰椎椎間板ヘルニアとの診断をもらった。





最初の診断から数年が経ち、くなったら仕事を休む日が続いた。


セカンドオピニオン的(今から10年近く前なので、セカンドオピニオンとは言っていなかった)に、


他の病院へ紹介してもらった。


どこへ行っても


「いずれは手術をしないといけないが、今はこのままで・・・」


と、言われるだけだった。


主治医が変わり新しい先生に付くと


「検査入院をしよっか」


と言われた。


それまで、ミエローもした事はなく、どんな検査だろうとワクワクしていました。


ミエローは全然OKだったけど、ルートブロックが×××!





大学病院へ紹介状を出してもらって、行くと・・・。


「詳しい検査をしていないのでわからんけれど多分外側ヘルニアやと思うから。


H病院で検査入院をして、多分外側やろうから、


それやったらそのまま、大学病院へ引き続き入院・手術になるなぁ。


そこまでの覚悟を決めてから検査入院をしようか?」


その返事を主治医に見せると


「早いとこ手術をしないと手遅れになるよ。


普通のヘルニアやったら10年ほっといても大丈夫やけど、


ヨッシーさんの場合は歩けんようになる恐れがある。


外側ヘルニアっていうのは、学会の発表とかで聞いた事があるなぁ。」 


いくら脅かされても、自骨移植は、いやでした。


ぐずってさらに1年逃げていました。


すると、足の麻痺が酷くなり、親指と人差し指だけが動くように・・・。


先生に相談をすると


「紹介状を書くからすぐにでも大学病院へ行って来い!!!」


1年前に診察してもらった先生は、病院を去り開業なさっていました。





別の先生に診察をしてもらい、H病院で検査入院とブロック注射をすることに。


3週間の予定で入りました。


ミエローは経験スミだったので割りと平気でした。


ブロック注射は、いやだったのですが、次の週に待っていたディスコよりはましかな?


ディスコのみは例えようがありません。


何とか検査も終わり(泣きながら)落ち着いたころ 


H病院の主治医A先生が


「今度の金曜日大学病院へ行って」


と言われました。えっ?予約はまだ先やのに〜不思議でした。





その日先生はお休みを取っていたらしかったのですが、私の為に半日潰してくれました。


「(H)病院退院してきたの?」


すぐ聞かれ、私は


「えっ?退院してもいいの?」


寝耳に水でした。


診断の結果は、外側性ヘルニアで、骨盤からの骨を削っての自骨移植。


入院期間は大学病院で1ヶ月。


リハビリ入院は地元の病院で1ヶ月の入院予定です。





続きは 次回にww





【戻る】 【次へ】