特別投稿 GPS No.24

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投稿者/G.P.S.     No.24     2012/11/20

岩かき … 超新鮮

地域の同好会で年に2回「旨いものを食する会」を開いている。近隣の穴場を開拓しつくしたので、泊りがけで出かける案を募集した。新潟県の出身のH君が日本海沿岸の旨いものを楽しもうと提案した。狙いは、都会では口にできない超新鮮な岩カキと解禁になったばかりの取り立ての越前ガニ(ズワイガニ)を食べて、紅葉を楽しむことであった。
H君は5人までなら自分の車で案内する。8人までならレンタルカーで出かけようと提案し、希望者を募った。私とJ,L,N君の4人が応募した。11月の初旬に3泊4日の予定で、企画の詳細をH君に任せた。
1日目は新潟県海岸のH君推奨の漁師が営む民宿で超新鮮な岩カキを堪能することにした。
2日目は金沢市郊外の温泉旅館で解禁直後の取り立ての越前ガニを楽しむことにした。
3日目は能登半島めぐりをして温泉で疲れを癒すことに決定した。

1日目、関越高速を通り途中のH君推奨の紅葉の穴場を楽しんで、夕刻日本海沿岸の漁師が営む民宿に到着した。風呂を楽しんで部屋に戻ると夕食の用意がされていた。民宿のあるじは「生食用には海水のきれいな、深い岩場で私が採取したものをお出ししていますが、お腹を壊す方は皆無ではありません。冬場になるとノロウイルスの被害が時々発生します。これを防ぐため紫外線で殺菌した海水に1〜2日漬けて、細菌とウイルスを排出させます。この間栄養を与えないので岩カキは旨みのもとであるグリコーゲンを消費してやせ細り、取り立ての岩カキの弾力と旨みを失います。今夜はHさんのご希望で先ほど採取したものを特別に、そのままお出しします。岩カキの旬は真夏ですがまだ十分美味しく味わっていただけると思います。」と説明した。

私はノロウイルスの被害を度々受けていたのでとても怖かったが、手のひらより大きい殻に盛りあがたクリーミーな岩カキを諦めることはできなかった。生で6個、殻つき焼3個、フライ3個をビール、続いて地酒とともに素晴らしく美味しくいただき、新鮮な刺身なども十分に堪能した。
特に生の岩カキは普段食べる生食用カキとは別物でないかと思う程旨かった。市販されている生食用岩カキがダラッとした食感で、歯応えが良くないのに対して、この新鮮な生岩カキは身が締まっていて、プリプリした歯応えを一噛み毎に楽しめ、噛み締めるたびに口の中に広がっていく旨味が何とも言えない、ジューシーで濃厚であった。食べ終えた全員が、翌日に襲われる惨劇を全く予想せず、産地でなければ味わえない、採取したばかりで無処理の生岩カキを特別に注文してくれたH君に感謝した。

明け方にお腹の不調で目覚めた。トイレに行くと下痢であった。昨夜食べ過ぎたのであろうと考え、床に戻りうつらうつらとしていると強烈なお腹の不調を感じ、トイレに駆け込んだ。腰を下ろす途中から凄まじい土石流が迸った。またノロウイルスの被害であることは確実であった。度々トイレに通い同室者に迷惑をかけてはいけないし、急なお腹の不調を感じた時、トイレを誰かが使用していると大変なことになるので、玄関広間のトイレ近くのソファーに毛布を掛けて横になり、トイレに通い続けた。

朝日が入り込み、全員が起きて私がいないのに気づき、皆が部屋から出てきた。ソファーで横になっていた理由を説明すると、H君が「G君に申し訳ないことをしてしまった。ほかの人は異状ありませんか?」と言った。ほかの3人は「異状なし」と答え朝食が用意されている食堂に行った。私も付いて行き、お茶と乳酸菌製剤を飲んで部屋に引き返した。
お腹を壊したのは私だけらしいので、トイレのためサービスエリアに度々止めてもらうのは皆に迷惑を掛けるのと、突然襲ってくる強烈な下痢をサービスエリアまでの間で我慢できなくなった時のため自作パンツ[No.13 カウンターの鮨に作り方を紹介]を着けた。

全員が部屋に戻ると、H君が「少し早いけど兼六園でゆっくりしたいので、出発します」と言い、車に乗り込んだ。出発して30分位で強烈なお腹の不調を感じ始めた、サービスエリアまで20分位とのこと、必死で堪えたがサービスエリアまで我慢できず、堤防が決壊しお尻と自作パンツを濡らした。激しく下痢を繰り返していたので、嫌な臭いはなく、だれも気付かなかったようであった。出たものは殆ど水分なので吸水層に吸収され、お尻の不快感も僅かであった。

サービスエリアに近づくと「G君トイレによるか?」とH君が声をかけてくれた。「次まで大丈夫だ」と答えたので車はサービスエリアを通過した。暫くすると助手席のJ君がしきりにお腹をさすりだした。「ポリ袋があったら下さい」と苦しそうに叫んだ。私が汚れた自作パンツを入れる有色のポリ袋を渡した。J君はこの中に嘔吐を始めた。嘔吐が終わるや否や、「トイレを我慢できなくなったのでサービスエリアで止めて下さい」とH君に依頼した。10分位でサービスエリアに着き、J君、L君、私がトイレに駆け込んだ。自作パンツとお尻、大腿部が汚れているので和式のトイレに入りズボンとロングパンツを下げ、自作パンツは少ししか汚れていなかったので、静かに下げてしゃがみ込むと、ジャーと黄土色の液体が激しく吹き出し、便器の周りとズボンの裾、靴を飛沫が汚した。
個室から出て手洗いに行くとL君がいて「僕も下痢が始まった。下痢止めを買ってくる」と言った。私は「ウイルスが原因の下痢の時、下痢止めで無理に下痢を止めると、ウイルスが腸内で増殖し、さらに消化吸収されなかった食べたものと腸管から分泌された大量の体液が大腸で発酵して、お腹が張ってすごく苦しくなるから、飲まないほうが良い」と忠告したが、L君は「この凄まじい下痢を我慢するほうがもっと辛い」と答えて売店に行った。

車に戻るとH君が「3人とも下痢ですか?昨夜の岩カキが原因ですね、申し訳ありません。私は何回も食べていますが、お腹を壊したことがありませんので、取り立ての岩カキを特別に注文してしまいました」と詫びた。「何ともないH君とN君の血液型はB型でしょう」と私が言うと「その通り、なぜ分ったの?」と二人が口をそろえた。「ノロウイルスは培養できないので、ボランティアによる人体実験で血液型がB型の人はノロフォークウイルスに感染しにくいことが解ったという論文がヨーロッパで発表されたと聞きました」(No.17 アサリ)と私が答えると、全員が驚きの声を上げた。
車で30分位走るとJ君が「またトイレに行きたいのでサービスエリアで止めて下さい」とH君に再び依頼した。私もサービスエリアのトイレで先ほどと同じことを繰り返した。
L君は下痢止めの効果?か車に留まった。最近の即効性の下痢止めの効果は速やかで確実であるが、副作用も強烈であろうと他人事ながら心配した。

車に戻るとH君が「今晩の宿はキャンセルできないが明日の宿はキャンセルできるので、お腹を壊した3人は能登半島めぐりをどうしますか?」と言った。3人とも「とても無理です。明日の宿の3人分はキャンセルして、H君とN君で楽しんできて下さい」と答えた。
「ここまで来たのだから兼六園を観て、早めに温泉旅館に着いてゆっくり休み、温泉でお腹を温めましょう」と決めた。

途中のサービスエリアで2回緊急停車して、昼近くにようやく金沢インターチェンジに着いた。高速を降りて郊外のレスランで軽く食事をとることにした。H君とN君は普通の定食を摂ったが、お腹を壊した3人は紅茶とマンゴウプリンで我慢した。
紅葉の最盛期の兼六園に入ったが5人同一行動は無理であった。お腹を壊した3人はばらばらで兼六園のトイレ探訪を重ねながら、園内の景色を楽しみ約束の4時に出口に集まり、車で郊外の温泉旅館に着いた。

H君とN君はすぐに大浴場に行ったが、お腹を壊した3人は部屋で休息した。私は部屋の浴室で自作パンツを脱ぎ、汚れたお尻をシャワーで洗った。
H君とN君が大浴場から帰ってきたので、3人が大浴場に行った。
大浴場から戻ったとき夕食が運ばれてきた。越前ガニの刺身、焼き物、てんぷら、カニずし、カニ入りの茶わん蒸し、カニの味噌汁等、越前ガニづくしであった。私は食べれば、夜中に苦しむことは分かっていたが、朝食と昼食を絶食し、お腹が空いていたのに加えて、旬の新鮮な越前ガニの旨そうな姿を見てしまうと、お腹がとても弱いのに、美味しい物の誘惑に勝てない本性が現れて、我慢できなかった。
少しの生ビールで喉を潤し、越前ガニの刺身から口にした。新鮮なカニの甘みと旨みが口いっぱいに広がった。新鮮なカニみそを刺身にまぶすとみその濃厚な味と刺身の淡白な旨みがミックスして絶品であった。あまりの美味しさに、先ほどまでのお腹の不調の苦しみを忘れて、焼き物、てんぷら等にも箸をつけて大半を食べてしまった。

J君は1/3位食べた時、突然席を立ちトイレに駆け込んだ。暫くしてから浴室に移りシャワーを浴びていたようであった。タオルを体に巻きつけて浴室から出てきて、荷物を浴室へ持ち込んだ。シャツとズボンを着て浴室から出てきて、電話で、「○○室です、トイレを酷く汚したので至急清掃と、消毒をお願いします。消毒はノロウイルス対策でお願いします。浴衣の交換もお願いします」とフロントに伝えた。J君は「お食事中に申し訳ありません」と皆に告げ、食卓に戻らず、椅子に腰かけ、苦しそうにしていた。
間もなくゴーグルをかけ、分厚いマスクをした従業員が現れ、「消毒のにおいが少し漏れるかもしれませんが、お許しください」と告げてトイレに入った。従業員がトイレから出てくると、J君は「浴室もお願いします」と言った。浴室の清掃を終えると、従業員はポリ袋に入った浴衣を持って出てきて、「お食事中お騒がせしました」と言って立ち去った。

L君は「お腹が張って苦しく腹痛がひどいので、食欲がない」と言って少しだけ箸をつけてお茶を飲んでいた。H君とN君はぺろりと平らげ「最高の旨さだった」と言ってデザートを口にしていた。
食事が終わると、J君は「上下連動型ノロウイルス症にやられました。トイレで嘔吐した時お腹に力が入って、下から大量の漏れ出しがあり、下着、浴衣、トイレの床をびしょ濡れにしてしまいました。お食事中に本当に申し訳ありませんでした」と再び詫びた。

H君の指示で早めに食卓を片付けて、寝具が広げられた。J君とL君はすぐ床に就いた。
私も疲労困憊していたのですぐ床に就きたかったが、食べたものを少しでも消化させようと思い、H君N君とロビーに出て話を始めた。暫く話していると強烈なお腹の不調を感じ部屋のトイレに急いだ。運悪くL君が占拠していた。急いでロビーのトイレに駆け込んだ。夕方には少し収まりかけていた下痢が再び強烈になった。ロビーに戻るとH君が心配そうに「お腹の具合がまた悪くなりましたか?」問いかけた。心配をかけないため「ビールを飲んだので、少し悪くなりました」と答えて部屋に戻り、最悪の事態に備え自作パンツを着けて、床に就いた。

疲れていたのですぐ熟眠した。夜中の3時ころ強烈な腹痛で目覚めた。トイレに急ぐと、洪水のような強烈な下痢が始まって、腹痛が軽減した。美味しかったカニ料理は噛み砕かれたまま良く消化されずに、黄土色の液体の中に浮遊していた。床に戻って20分位で再び腹痛を感じてトイレに入り、腰を下ろすや否や、黄土色の滝が迸った。腹痛は軽減したがお腹がすっきりしない、お腹に力を入れると異様な音とともに粘液交じりの液体がお尻を濡らした。この時ノックする音がし、L君が「すみません、下痢が酷く我慢できないので、早く代わって下さい」と叫んだ。急いで処理を済ませて交代した。

急激な腹痛を感じて、急いでトイレに入ろうとするとき、他の人が占拠していると大変なことになるので、いつでも入れて、お腹を少しすっきりさせるための長居ができるロビートイレの近くのソファーで寝ることにした。暫くすると、L君が傍にきて「下痢止めで無理に下痢を止めたのは大失敗でした。夕方はお腹が張って苦しいだけでしたが、下痢止めの効果が切れた時からガスと下痢が突然シャワーのように噴出して眠ることもできません。今もお腹の皮が引きちぎられるかと思うようにお腹が張って苦しんでいます。どうしたら良いのですか?」と言った。「私も昔同じような苦しみを味わいました。[2 赤貝、牡蠣 … 新鮮]下痢症はとても辛いのですが、下痢止めの服用をやめて、お腹の中のウイルスを早く排出するのがよいでしょう」と答えた。

下痢が頻回で量が多いので強烈に喉が渇いた。スポーツ飲料を求め、湯煎で体温近くに暖めて飲んだ。飲んで暫くすると腹痛が強くなり、トイレに行くため、急にソファーから立ち上がろうとして、お腹に力が入ると、シューと液体が吹き出し自作パンツを濡らした。静かにお腹に力を入れないように立ち上がって、トイレに急いだ。トイレで腰を下ろすとお腹に力を入れなくとも、黄土色の粘液交じりの水柱が強烈に迸った。部屋の溜水面の広いサイホン式便器とは違う溜水面が小さい旧式の洗い落とし式便器の底に激しく降り注いで、粘液交じりの飛沫が跳ね返り、便器の内側と便座の裏全面と表の一部、お尻と太腿をべっとりと汚した。
強烈な水柱が便器の底に激突し、飛沫が凄まじく跳ね返ったので、処理が終えたら次回の際の跳ね返りを軽減するため、便器の底にトイレットペーパを敷き詰めた。ペーパは水を含んで膨らみ、水柱激突の緩衝材となり、跳ね返りをかなり防止できた。それでも水柱が強烈なため跳ね返り、粘液交じりの飛沫が便器に堆積して便器は見るも無残な状態になり、他の人はとても使えないようになった。幸い私がロビーにいる間には、このトイレを使おうとした人はいなかった。

大腸カタルの原因はノロウイルスに痛めつけられ消化能力を失った小腸を急速に通過した未消化物が大腸に炎症を引き起こしたのか、他の人には危害を加えなかったほどの僅かの細菌が激しい下痢でダメージを受けた私の大腸を急速に侵害したのであろう。コレラ[No.1 マンゴーシャーベット]と赤痢[No.5 韓国料理]に複合感染したみたいな深刻な症状であった。(後日友人の医者に、この時の症状を話したら「カニや伊勢海老の甲羅は凹凸が多く海中で付着した細菌やウイルスを完全に取りさるのが難しいので、調理の過程で汚染されることがあり、生食では食中毒の危険がある」と忠告された。[18 伊勢海老])
あまりに頻繁なトイレ通いが辛いので、腹痛を我慢してみた。我慢の限界に近づきゲートが濡れ始めたので、静かに起き上がりトイレに急ぐ途中で、ゲートに強い圧力が掛り、開きそうになった。歩くと大量の液体が一挙に漏れ出し、ロビーの絨毯を汚すと思い、立ち止まって、懸命に肛門括約筋を締めつけたが、腸内液体の圧力が勝って、シャーと液体の一部が吹き出してお尻と自作パンツを濡らすアクシデントに見舞われた。この漏れ出しで腸内圧力が少し低下したので、ゲートを必死で締めつけて、ロビーの絨毯を汚すことなくトイレにたどり着けたが、腰を下ろす途中でゲートが全開し、黄土色の滝が音を立てて、便器の底に激突して、便器を激しく汚した。

濡れた自作パンツを取り換えたいが部屋でシャワーを使うと友人を起こしてしまうので、トイレで濡れた部分をトイレットペーパで拭き取り、濡れた濾過布の代わりにトイレットペーパを重ねて入れ、濡れた自作パンツを履き続けた。度重なる下痢で爛れたゲートに乾燥したトイレットペーパが触れると激しく痛んだ。
自作パンツの残りは1枚だけとなった。車の中での最悪事態に備えるため、もう汚すことはできない。腹痛を感じたら早目にトイレに行くことにした。頻繁にトイレ通いを繰り返している内に、夜があけて、フロントに従業員が出てきたので、私は部屋に戻った。H君とN君は朝風呂に出かけた。J君とL君も彼らの後を追ったが、私は朝風呂に入る元気がなく、横になって休んだ。

昨夜は越前カニの産地ならではの美味しさに惹かれ、沢山食べてしまった。ノロウイルスに酷く痛め付けられていた私のお腹は凄まじいダメージを受け、無事に帰宅できるのか心配になった。友人の前で、お漏らしの醜態を絶対に曝したくなかった。浴室で濡れた自作パンツを脱ぎシャワーでお尻を洗って、新しい自作パンツに履き替えた。電車に乗り自由にトイレを使えるようになるまで、喉が渇いても脱水症を覚悟し、水分の摂取を我慢することにした。

カニ料理を戻してしまったJ君は症状がかなり軽くなり、私とL君以外は朝食を摂った。私は僅かの紅茶とヨーグルトを口にし、大量の乳酸菌製剤を少量の水で飲んだ。L君に乳酸菌製剤を別けてあげた。旅館から金沢駅まで1時間以上かかるとのことであったが、金沢→米原→小田原で帰宅することを決め、スケジュールを立てた。小松空港から羽田に飛ぶのが最短時間であるが飛行機ではトイレに行けない危険があるので、トイレが自由に使える電車を選んだ。

5人で車に乗り、旅館を出ようとした。突然L君が「すみませんトイレに行かせてください。絶食したが下痢が止まりません。緊急事態です」と言って車から急いで降りた。L君はなかなか戻ってこなかった。ようやく戻ってきて、「遅くなってすみません。ロビーのトイレが清掃中で待たされました。お腹の切迫度が高く、宿泊した部屋のトイレに戻るのは、途中で危ないと思い、清掃を早くしてくれと依頼したら、清掃人は『酷い下痢のお客さんがものすごく汚したので時間がかかっています、消毒もしなければ使えません。もう少しお待ち下さい』と答えたので清掃と消毒の完了を待ち、遅くなりました」と全員に詫びた。
清掃の作業中に、清掃人は独り言のように「こんなものすごい汚れはめったにありません。当店の料理で酷い食中毒が起き、多くの酷い下痢のお客さんが続けて使い、汚したのかと心配になり、マネージャーに問い合わせましたが、『食中毒のクレームはない』とのことで安心しました」と呟いたとL君が付け加えた。

出発して20分位で腹痛を感じ始めた。コンビニでトイレを借りればよいが、予定より遅れて出發したので、金沢駅に定刻に着くには、途中のトイレ休憩は危険であった。出發遅れの原因となったトイレをものすごく汚した犯人は私であった。トイレが必要なのは私一人のようなので、出發遅れの時間を取り戻すため、トイレ休憩を避けて、静かに自作パンツにお漏らしをして腹痛を軽減した。

さらに30分位で再び我慢が難しくなってきた。駅トイレまでと、懸命に肛門括約筋を締めつけ、歯を食いしばって、我慢していた。腸内を液体が音を立てて、激しく動くのが分かった。腰を少し曲げてお腹の圧力を軽くし、我慢を続けた。顔面に脂汗が流れ出した。H君が私の苦境に気づき「G君コンビニで飲み物でも買いましょうか?」と問い掛けてくれた。コンビニのトイレで楽になりたいと思い、時計を見ると金沢駅に到着しなければならない時刻が迫っていた。最悪の事態を避けられそうになかったが、トイレに寄る時間を無くした責任が私にあるので、自作パンツで凌ぐ決心をして、「電車に遅れます。駅に着いてから買います」と答えた。

しかし懸命の我慢も腸内の強烈な圧力に対抗できず、暫くするとゲート周辺が濡れ始めた。ゲートの締めつけ力を高めようとするが限界であった。友人の前でお漏らしの醜態だけは避けたかったが、ついに大量の液体がドッドーと噴出して、お尻、大腿部を濡らしてしまった。必死の我慢の甲斐なく失敗してしまったので体中の力が抜けて、ぐったりとなった。
暫くすると助手席のN君が窓を開けた。水分の摂取を我慢したが、お漏らしが大量なので、嫌な臭いが漂ってきた。同病相哀れむで、誰も何も言わなかった。粘液交じりのため自作パンツの吸水層が目詰まりして十分に吸水できず、防水性のある自作パンツの中に溜った液体が裾から漏れ出す寸前となった。お尻、大腿部が冷たく濡れて、凄く気持ち悪かった。液体が裾から漏れ出して、ズボンと車を汚すのを最も恐れた。車が揺れても、お尻、大腿部を動かさないように注意し、深く腰掛け裾からの漏れ出しをなんとか防いだ。

L君がポリ袋を出して、お尻の下に敷いた。L君にも緊急事態が近づいているらしかった。懸命に我慢している様子が感じられたL君がH君に「駅まであとどの位かかりますか?」と尋ねた。H君はカーナビを見ながら、「道路が込まなければ、10分位で着けると思う」と答えた。L君は「10分ですか」と苦しそうに答えた。その直後に、L君の席から異常な音が聞こえた。

駅に着き、H君N君と別れの挨拶をして、乗車券の購入をJ君にお願いし、トイレに向かった。急いで歩くと自作パンツの中に溜まった液体が裾から漏れ出しそうなので、静かに歩いていた私の後ろからL君が追いつき「私のために出発が遅れ、コンビニでトイレを借りる時間がなくなったので、駅のトイレに着くまでと、必死で我慢していましたが、駄目でした」と言って、私を追い越して行った。彼のズボンのお尻の部分にくっきりと染み跡が付いていた。
トイレに入り、自作パンツを外すと、お尻、大腿部が黄土色の粘液交じりの液体でびしょ濡れであった。お尻と大腿部をタオルで入念にふき取り、便座に座るとシューと黄土色の液体が吹き出し腹痛が軽減した。時計を見ると出発時刻に近づいていた。お腹はすっきりしないが急いで処理してトイレから出た。

やっと出発時刻に間に合った。喉がひどく乾き脱水症の危険を感じたので、スポーツ飲料をホームで求め、車内で飲んだ。下痢の心配から解放され、大量の水分を摂れたので、からからに乾いて、声もかすれていた喉が潤い、とても旨かった。

車内でリラックスし、3人とも少し元気を取り戻した。「昨夜から今朝にかけて、食事も飲み物も控えていたのに、どうしてこんなに酷い下痢が続いたのだろう。体のどこに沢山の水があったのか?」L君がポリ袋をズボンの下に広げて座って、真剣な表情で言った。
「ノロウイルス性腸炎では腸管壁の浸出性が亢進し、多量の浸出液が腸管内に排出され、腸管内容液が増加し、頻回、大量の下痢になるのです。このため絶食し、水分の摂取を控えても脱水状態になるまで、激しい下痢が続き、脱水症状が生命の危険を伴う事があります。」と私が答えた。

L君が「私の下着からズボンまでびしょ濡れになりました。こんなひどい経験は初めてです。Gさんのズボンが濡れていませんでしたが、我慢に成功したのですか? 油汗を流して、随分苦しそうにしおられましたが」と問い掛けた。
「私も懸命に我慢しましたが、耐え切れなくて失敗し、下着(自作パンツ)をびしょ濡れにしました。下痢が激しいので突然の襲来に備えて、出発の前に下着とズボンの間に防水シート(自作パンツ)を挟んでいたのでズボンは濡れませんでした。今回のノロウイルス腸炎は、私も経験したことのない激しい下痢で、大量の水柱が噴出したので、防水シートから漏れ出して、車を汚すのではないかと心配しました」と答えた。

腹痛がひどくなったので、トイレに駆け込んだ。電車の便器は小型で底が閉じているので、お腹に力を入れないで静かに出そうとしても、腸内の圧力が高く、勢いよく流出した水柱の跳ね返りがお尻、大腿部、便器の周りまで汚れてしまった。トイレットペーパで拭き取り、席に戻った。
L君は昨夜はお腹がパンクしそうになって腹痛がひどく、度々のトイレ通いで殆ど眠れなかったと言って、席で熟睡を楽しみ始めた。J君はすっかり元気になり、車外の景色を熱心に観察していた。私は腹痛軽減のためトイレに入って水柱を迸らせても、お腹がすっきりしない、お腹に力を入れると異様な音とともに、粘液交じりの液体がお尻を濡らし、赤痢に苦しんだ時のことを思い出した。お腹をすっきりさせたいと思い、トイレでゆっくり腰を下ろしていると、L君がノックして「すみません我慢できないのでお願いします」と交代を要求した。L君はカニ料理をほとんど食べなかったが、私の忠告を無視して、下痢を無理に止めたため、ノロウイルスが腸内で増殖して、下痢止めの効果が消えてから、激しい下痢に長く悩まされているようであった。私は米原に近づく頃から下痢が少し穏やかになり、トイレを汚さなくなった。

米原で新幹線に乗り換え小田原に何とかたどり着いた。J君は昼食をとると言って、駅の外に出た。私とL君は「お腹の具合がひどいので、絶食します」と答えて別れ、L君は「買い物をします」と言って駅ビルに行った。スポーツシャツの裾をズボンの外側に出して、お尻の染み跡を見えにくくしていた。下着とズボンを買うのであろうと想像した。

私は乗り換えてC駅に着き、タクシーで帰宅した。
家内は憔悴した私の顔を見ながら心配そうに「予定より1日早いでしょう、どうしました?」と問いかけた。部屋に入り、経過を簡単に説明し、「腹痛と下痢がすごく酷いので、今夜は絶食する。リンゴジュースだけ作ってくれれば十分だ」と答えて、トイレに急いだ。
発熱はないが、腹痛が酷く細菌感染性大腸炎の恐れがあるので、掛りつけ医に診察してもらい、必要なら抗生剤の処方と点滴を受けたいと思ったが、運悪く土曜日の午後は休診であった。

下痢が激しく、目覚めてもトイレに間に合わない事態が心配されたので、おむつを当てて、ベッドに入ると疲労困憊していたので、すぐ熟睡した。夜中に腹痛を感じて目覚めると、お尻が冷たい。トイレでおむつを外すと、粘液交じりの黄土色の液体がお尻とおむつをびしょ濡れにしていた。熟睡中に大量に漏れ出したことに全く気付いていなかった。若い時には酷い下痢症に悩まされても、このような失敗をしたことはなかった。先日は激しい下痢が続いて、ゲートを閉じる機能が麻痺した。(No.23 マカロニ入りサラダ)80歳半ばとなると体の機能の低下を隠すことができない、悲しい現実である。

おむつを替えて再び熟睡した。2時間位で強い腹痛を感じて目覚め、トイレに急いだ。粘液交じりの黄土色の水柱が迸り、腹痛は軽くなったが、お腹がすっきりしない。
ベッドに戻り一眠りしたら夜が明けた。日曜日で、掛りつけ医は休診であった。休日急患センターを受診しようと考えたが、赤痢を疑われ、隔離入院させられるのは嫌であった。赤痢の時のような発熱はないので、ノロウイルス下痢症と大腸カタルとの合併症であろうと判断して、月曜日まで自己治療を続けることにした。

朝食を絶食するのは著しい体力の低下となり、下痢症の回復が遅れるので、無脂肪ヨーグルトを食べ、リンゴジュースと大量の乳酸菌製剤を飲んだ。暫くすると強烈な下痢が襲ってきた。下痢に負けずに、朝食と同じものをお腹の負担を軽くするため、量を少なくし10時、昼、3時に摂った。今度は何とかお腹が受け付けてくれた。
幸い夕刻から腹痛が軽くなり、下痢も徐々に穏やかになった。

超新鮮な無処理の生岩カキと搾りたて非加熱のジャージー牛乳[No22]は素晴らしく美味しかった。都会では絶対に味わえない、自然から摂りたての物をそのまま口にする美味しさであった。いずれも産地の人は楽しんでいる物であったが、その「美味しさへの道」には落し穴があった。お腹が弱く抵抗力のない私は極めて辛い悲惨な代償を払わされた。
再び同じ物を味わえる機会に恵まれたら、私は躊躇することなく口にしてしまうと思う。そしていつか来た道「食中毒への道」を歩み、悲惨な食中毒の苦しみに再び襲われるかも知れない。

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