特別投稿 GPS No.22

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投稿者/G.P.S.     No.22     2012/01/07

搾りたての牛乳 …

大学の同期生F君は大手化学メーカの役員を退任後、出身地関東北部の町で父親譲りの牧場を経営していた。現在は動物好きで畜産学部を卒業した子息に任せ、ボランティアで近隣の牧場主に経営の指導をしている。
都会から離れているので、通信販売、オンラインバンキング等を利用している牧場主が多い。最近セキュリティの不備による被害に遭った牧場主があり、彼も危険を感じて、パソコンのセキュリティを本格的に学びたいと考えて、近隣の牧場主に呼びかけて講習会を開くことにした。「パソコンのセキュリティを教えて貰いたいが、お出で頂けるか」とメールが届いた。「OK」と回答したところ、「秋の紅葉の季節で、猪が出るときに開催するので、お願いしたい。猟が趣味の友人がよい猪を捕えた時なら、都会では珍しい新鮮なしし鍋(ぼたん鍋)を振舞える」と回答があった。
晩秋のある日F君から「明後日に1泊の予定でいかがか」と電話があった。到着時刻を決め、F君が駅まで出迎えてくれるとのことであった。

朝早く、T駅から新幹線に乗車し、U駅で在来線に乗り換えて指定の駅に着くとF君と子息が待っていた。子息の運転でF君の広大な屋敷に着いた。飼育している牛はジャージー種も含めて、美味しい牛乳の生産が自慢の種であるとのことであった。午後の講座の内容の打ち合わせ中に、自慢の牛乳が運ばれてきた。「君の到着寸前に特別に搾らせたジャージー種のフッレシュ牛乳だ」と勧められた。まだ牛の体温を感じる生暖かい牛乳は濃厚でこくがあり、都会で日常口にする加熱殺菌された牛乳とは比較できないない美味しさであった。喉が渇いていたのでお代わりをした。

自家製のヨーグルト、チーズなどの昼食を済ませ、子息の運転で町の集会所に着き、講座を無事終了した。熱心な質問が多数あり予定より遅く集会所を出た。
F君の屋敷に戻ると、しし鍋を中心に、山菜、果物、地酒、自家製ブドウ液(発酵済み)が用意されており、退職後の活動を話し合い、楽しい時を過ごした。
翌朝早く軽いお腹の不調を感じて目覚めた。しし鍋の食べすぎであろうと気にも留めなかった。フッレシュ牛乳とヨーグルト、チーズ、自家栽培の朝採り野菜のサラダで朝食を済ませ、F君の案内で牧場と最盛期の紅葉を見るため往復4時間の予定で牧場の先の丘の頂上まで出かけた。
数分で広大な牧場に着いた。暫く歩くと、腹痛が強くなり、腸内の圧力の上昇に悩まされ始めた。熱も出てきたようである。F君にトイレに行きたいというと、「牧場の監視小屋があり、トイレもあるので少し我慢してくれ」と言われ、5分くらい歩いて監視小屋に着き、トイレに駆け込んだ。土石流のような強烈な下痢が始まった。腹痛は軽快した。
1時間半くらい紅葉林の中を登り、丘の頂上に立った。素晴らしい紅葉の眺めであった。
丘の頂上でしばらく休み、先ほどと違う道を降り始めた。また腹痛がひどくなり、腸内の圧力が急上昇した。監視小屋まで我慢しようと考えたが、我慢の限界に達したので、F君に「監視小屋まで我慢できそうにないので、林の中で用を足してくる」と告げて、紅葉の林に踏み込んだ。落ち葉をかき分けて腰を下した。この位置で液体を噴出すと、靴、ズボンの裾、お尻が飛沫の跳ね返りでひどく汚れる。お尻を持ち上げ噴出方向を後方斜めにして、お腹に力を入れた。滝のような水流が60p位後方に着水し、濃い黄土色の水溜りができた。静かにお尻を元の位置に戻すと、第2波がシュッと噴出した。処理を終えて、水溜りに落ち葉をかけた。
F君の待つところに戻り、帰路を1時間近く歩くと、先ほどと同じことを強烈に我慢できなくなった。「Nature calls meだ、もう一度林に行ってくる」と告げた。F君は「監視小屋まで15分位だが?」と言ったが「もう1分も待てない」と答え林に入り、前回と同じ姿勢で済ませ、食中毒下痢症患者の至福の瞬間を味わった。
道に戻るとF君が心配そうな顔で、「何か悪いものを食べさせてしまったようだ。大丈夫か」と尋ねた。「昨夜のしし鍋の食べすぎだろう。僕にはよくあることだ、心配しないでくれ」と答えた。しかし内心では、凄まじい下痢、強い腹痛と発熱から、ひどい食中毒であると自覚した。搾りたての無殺菌牛乳に食中毒菌が混入していたのであろうと推定した。
強い腹痛と発熱を我慢しながら、F君の屋敷に戻った。
「お腹の具合がとても悪そうだが、昼食をどうするか?」とF君に聞かれたので、「絶食する。しかし脱水が怖いので紅茶と蜂蜜入りのヨーグルトを少し下さい」と答えた。
食事の前にF君が「僕は年なので運転免許を返納した。息子を呼び戻して駅まで送らせる」と言ってくれた。息子さんが商用でかなり遠くに出かけたことを聞いていたので、「バスで大丈夫だ。これくらいの下痢症はしばしば経験しているので、心配しないでくれ」と申し出を断った。
F君は「バスは1時間くらいかかるので、中間で具合が悪くなったら、A停留所で降りて、停留所の前のB商店で、それより先ならC停留所で降りて、停留所の脇のD商店で休ませてもらえ。いずれも家の牛乳を扱っている店だから気兼ねは無用だ」と付け加えた。

食事中に腹痛と発熱が強くなり、腸内の圧力が急に高くなった。必死でこらえ、蜂蜜入りのヨーグルトを食べ終えて、トイレに急いだ。席に戻ると、F君が「お腹の状態が非常によくないようだが、医者に診てもらうか?」と尋ねた。「単なる食べ過ぎの消化不良だから心配ない」と答えた。F君は私が食事中に腹痛を我慢していた様子から、食べ過ぎでなく、食中毒でないかと心配して、「熱がないか」と言って、体温計を渡してくれた。測定すると37.8度であった。F君に心配かけないため「37.1度だ、下痢が続いたので脱水になって体温が上昇したのだろう」と答えた。F君の奥さんが「脱水症になると大変です」と言って蜂蜜入り紅茶を大きなコップに用意してくれた。好意を無視できないので口をつけるととても旨い、飲み干してしまった。

バスの時刻を聞き、帰路の計画を立てた。強い腹痛と発熱から悪性の食中毒菌に侵されたと考え、掛りつけ医から今日中に、抗菌剤を処方して貰えるように、C駅に5時45分までに着ける列車と新幹線の時刻を選んだ。抗菌剤の処方が間に合わないと重篤な食中毒症に進行すると恐れた。
問題はバスの中でお腹の不具合を我慢できるかである。最悪事態に備えるため簡易おむつを作ることとした。厚手の古いバスタオルを1枚もらい、2/3と1/3に切り分けて、大きいほうを3つ折りにし、大型のポリ袋を両面接着テープで張り付け、カバー付簡易おむつを作り、パンツを省いて、ロングパンツの中に付けた。お尻が膨らんでロングパンツとズボンをはくのに苦労した。股の間が広がり歩きにくい、自作パンツを持参しなかったのを悔やんだ。
バスの停留所に送ってきたF君は「今回の講座はとても分かりやすく、役に立ったとお礼の電話が数人からあった。本当にありがとう。自慢の乳製品と猪の肉を宅急便で送るからお腹が治ったら食べてくれ」と言った。私は「都会では味わえない搾りたての無殺菌牛乳としし鍋がとても美味しかった。ありがとう」と互いに挨拶して別れた。
 
バスに乗り席に座って、沿道の林の紅葉を楽しんでいた。C停留所を目前にして腸内の圧力が急に上昇した。途中下車し、D店のトイレを借りようと考えたが、次のバスは1時間後であり、途中下車すると掛りつけ医の診療終了時刻に間に合わなくなる。駅まで20分位であるが我慢できる自信はない。お漏らしをしても抗菌剤を今日中に服用することを選んだ。
C停留所を通り過ぎて5分くらいで、腸管が搾り上げられるような腹痛が強烈になり、腸内圧力が限界に近づいた。あらゆる力をゲートの締め付けに注いだが、ついに堤防が決壊し、お尻、太ももを生暖かい粘液混じりの大量の液体が覆った。
朝から激しく下痢を続けていたので、漏れ出た粘液混じりの液体は強い臭いを出さなかった。堤防決壊時の異様な音もバスのエンジン音にかき消されたようで、周囲の人に気づかれずに済んだようであった。
簡易おむつを着用せずにお漏らしをしたら、大量の液体が流出したので、バスの床を濡らして大騒動になり、乗客と運転手に迷惑をかけ、バスの運行が遅れて、掛りつけ医の診療終了時間にも間に合わなくなったであろう。

駅のトイレで、おむつを外し大型のポリ袋を裏返しにしてびしょ濡れのタオルをポリ袋に入れた。1/3のタオルでお尻、太ももを拭き取り、ポリ袋に入れた。これをさらにポリ袋に密封し、トイレのごみ箱に投入した。この作業は意外に時間がかかり、ホームに入ってきた列車にようやく飛び乗った。
バスの中での大量のお漏らしのため脱水になり、強烈に喉が渇いた。乗り換えのU駅で紅茶を買って新幹線を待つホームのベンチで一気に飲み干した。暫くすると紅茶の刺激のためか、腹痛が強烈になり、腸内圧力が高くなった。駅のトイレに行く余裕はない。新幹線がホームに入るや否やトイレに駆け込み、滝のような水柱を迸らせ、楽になった。

T駅に着き中距離電車に乗り換えた。喉の渇きを我慢できず、乗車前に紅茶を買った。先ほどの一気飲みの反省から、電車の席に腰掛け少しずつ飲んだ。
C駅に着きタクシーで掛りつけ医院へ急いだ。診療終了時刻5分前に到着した。受診手続をし、トイレに駆け込み、水柱を迸らせ、温水洗浄でゲートを入念に洗浄した。バスでのお漏らしに加え、列車のトイレが温水洗浄でないのでゲートの周辺が爛れ始めていた。

体温計を借り体温の測定をすると38.2度であった。医師に経過と食べたものを報告した。
医師は腹部の聴診と軽く抑えて触診し、「重篤な食中毒下痢症です。搾りたての無殺菌牛乳に混じっていたサルモネラ菌が原因でしょう。サルモネラ菌食中毒症の潜伏期間は8〜24時間で,普通は約12時間と言われています。Gさんのお腹は過敏で潜伏期間が非常に短いのが特徴ですから、摂取した菌の濃度は極めて低かったと推察します。普通の人なら胃液で処理されて発症しないでしょう。Gさんの胃液は酸性度が低いので、僅かの菌が24時間かけて腸管で増殖したのでしょう。抗菌剤を処方しますので規定通り確実に服用してください。かなりひどく脱水状態になっているので、点滴をします。今夜と明朝は絶食し、明日午前中に来院してください。腸の負担を軽くするため点滴で水分と栄養の補給をします。」と指示され、大量の点滴を受けた。点滴を2/3位終えた時、お腹の圧力が高くなり我慢できなくなったので看護師に助けられながら、点滴具を引きずってトイレに入った。下痢症治療で最も嫌いな動作である。吸水層付のおむつを付けてもらえば楽であったが恥ずかしくお願いできなかった。
抗菌剤と乳酸菌整腸剤を処方して貰い、近くの薬局で薬を受け取った。下痢と発熱で憔悴しきっているのに気付いた薬剤師がタクシーを呼んでくれて、無事帰宅した。
家内は憔悴した私を見るなり「どうしたんですか、今にも倒れそうです」と叫んだ。家に入り、直ぐソファーに横になって経過を簡単に説明した。
先ほどF君から「Gさんがひどくお腹を壊していたので無事帰宅できたか心配している」と電話があったとのこと。すぐにF君に「無事帰宅した」と電話した。

お尻が汚れて気持ち悪いので入浴したいが、入浴する体力がなく、抗菌剤と乳酸菌整腸剤を服用してベッドに滑り込んだ。疲れからすぐ熟眠したが、2時間くらいで強烈なお腹の不調を感じて目覚めた。トイレに行くと滝のように水柱が迸った。腹痛はだいぶ軽快した。熱も少し下がったようで、抗菌剤の威力に驚いた。翌朝まで同じことを3回繰り返した。その度ごとに腹痛は軽快し、熱も下がった。

翌朝、掛りつけ医院の開院を待ちかねて診察を受けた。医師は「重症のサルモネラ菌食中毒症の全治には5日以上掛ります。昨夜の来診が遅れていたら、損傷した腸管粘膜からサルモネラ菌が血流中に侵入し、重篤な症状になったかも知れません。発熱、腹痛が解消しても腸管の爛れが治るまで下痢が続きます。家族に感染させないよう下着の消毒を徹底し、入浴は家族の最後にしてすぐ湯を流すことに気を付けて下さい。食事は腸に刺激を与えるものを避け、損傷した腸の負担を軽減するため少量で我慢し、不足分は点滴で補います。激しい下痢が止まるまで通院し、点滴を受けてください」と指示を受け、点滴を受けて帰宅した。

バスの中で苦しい思いをし、堪えきれず失策をしてしまったが、可能な限り早く受診したことは正しかったようである。医師の指摘通り、6日目からほぼ正常なお腹に回復した。
普通の人ならなんともないような極めて僅かのサルモネラ菌で重症の食中毒を発症する私のお腹の弱点を忘れ、美味しい無殺菌フッレシュ牛乳を大量に一度に飲んだための悲劇であったと反省している。
以上

G.P.S.

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