特別投稿 GPS No.21

G.P.Sのメニュー

投稿者/G.P.S.     No.21     2011/02/06

刺身の盛り合わせ … 新鮮

地域のグループの研究会のまとめが終わり、小冊子が完成した。これを祝って、祝賀会を網元が経営する居酒屋風レストランで夕方から開いた。新鮮な魚と貝の刺身が売り物の店である。私は貝の刺身には度々中っているので、家内がよく洗った物しか口にしないことにしていたが、この日の後には数日特別な予定がないので、中っても家で静かにしていればよいと覚悟を決めて、箸を付けた。やはり家内が魚屋で仕入れて、十分に洗ったものより旨い。魚と貝の刺身に煮魚、てんぷら、寿司などを食べ、ビールと日本酒を飲んで、歓談を2時間以上続け、M君と一緒にタクシーで帰路に就いた。家の少し手前でM君を下ろし、家に着いた。

家では家内が私の帰宅を待ちわびていて、玄関に入るとすぐに「Y君の奥様から、Y君が亡くなられたとの電話があって、友人代表として弔辞をお願いしたいので、よろしければ、至急返事を頂きたい」とのことであった。Y君は大学の同窓生で親しくしていた。彼は教授となり、定年後は私立大学で新しい技術の教育を推進していた。数年前に退職して、悠々自適の生活を楽しみながら、いろいろな団体の技術者の教育・指導などをしていた。

すぐ奥様に電話をかけ、弔意を述べてから「友人を代表して、弔辞を捧げられるのは光栄です」と答えた。奥様は「告別式は無宗教主義であった主人の希望で、宗教に関係のないお別れの会形式として、主人の思い出の映像に続いて、友人、大学関係者、教え子、退職後に関係した団体の代表の方々に弔辞を頂くようにと主人が生前に書き残し、映像が用意してありました。このため、皆様から頂くご弔辞が儀式の中心となります。告別式は明後日の午後2時から、S駅近くのS会館で行います。よろしくお願い致します」と言われた。私はY君の斬新な企画と周到な準備に驚くとともに感心した。
翌日朝食後、弔辞の原稿をPCで書き始めた。朝食では食欲が進まず、昨夜の飲みすぎかと考えたが、何か少し違う感じがした。昼食の時刻になって、食卓に着いたが、お腹が張っていつもの半分位しか食べられなかった。再び原稿をPCで書いていると、突然強烈なお腹の不調を感じて、トイレに急ぐと凄まじい下痢が始まった。昨夜の貝の刺身によるノロウイルス食中毒であろうと推定した。喉が渇き、スポーツドリンク、家内が作ったリンゴジュースと乳酸菌製剤を飲んだ。明日の告別式で弔辞を捧げなければならないので、体力の維持が必要である、夕食を食べられそうもないので、掛かり付け医に点滴をお願いしようと思い、診察券を見ると休診日であった。明朝早く受診することにして、弔辞の原稿の続きを書き始めて15分位で再びお腹の不調を感じトイレに入ると、滝のような水柱が迸った。原稿を書き上げるまでに同じようなことを2回繰り返した。弔辞の朗読を家内に聞かせて、意見を聞き、少し訂正して完成させた。明日の告別式のために体力の消耗を避けようと、夕食を絶食し吸水層付きのおむつを着けてはやばやとベッドに入った。夜中にはたびたび目覚めて、水柱を迸らせ、安眠できなかった。翌朝開院と同時に掛かり付け医に診察して頂いた。食べた物と自覚症状を告げると、血圧の測定、お腹の聴診と触診をして、「酷い下痢症です、腸がものすごく激しく蠕動しています。この冬流行のノロウイルス食中毒でしょう」と診断された。「親友の告別式で弔辞を捧げなければならないので、午後に東京まで行かねばなりません」と告げると、「それは無理です、他の人に代わって貰いなさい」ときつく言われた。「点滴をして頂き、脱水症を避ければ、何とかやれると思います」と答えると、「酷い下痢のためトイレで意識を失うのが一番危険です。寒い時なので凍死の危険もありえます」と言われた。「どうしても告別式に行きたいので、トイレで意識を失いそうな時の対策を教えて下さい」と質問すると「危ないと思ったら、デパートか駅ビルの障害者用トイレに入りなさい、緊急連絡装置があるので、意識を失う予兆を感じたら通報して、救助して貰いなさい」とアドバイスしてくれた。前回(牡蠣フライ)の苦い経験を繰り返したくないので、このアドバイスで少し安心した。医院まで10分弱歩いた刺激で亢進した蠕動運動と診察中にお腹を押されたので、お腹の不具合が強烈になった。診察中は必死に堪え、診察が終わるや否やトイレに駆け込んで、やっと間に合った。

医師は外出に同意してくれなかったが、栄養剤を入れた点滴を大量に処方してくれた。この処置をして貰ったので、朝食、昼食を絶食しても告別式に出て、弔辞を捧げる体力がついたと判断した。脱水症の危険もお腹に負担の少ない大量の点滴で防げると思った。家に帰り、最悪の事態に対処するため、自作パンツを着けて、時間の余裕を取って出かける用意をした。
今回のノロウイルス食中毒下痢症は、今まで度々経験した症状より強烈である。体を動かすと腸の蠕動運動が亢進して、直腸内の圧力が高くなる。我慢するのがとても辛い。通常は駅までバスで行くが、バス停まで歩くことでバスの中で我慢できなくなる危険を感じて、タクシーを呼んだ。駅に無事着き、中距離電車のトイレのある車両に乗った。発車して間もなく、強烈なお腹の不調を感じて、トイレに駆け込むと、凄まじい水柱が迸った。底の浅い小型の便器とお尻・太腿が水柱の跳ね返りで激しく汚れた。「外出は無理です」との医師の勧告は正しかった。式場まで無事到着できるか、到着できても弔辞奉呈ができるのか、式場で予期せぬアクシデントによるお漏らしの危険を考えると、とても心配になった。しかし、親友Y君のためどんなに辛くとも、やり遂げようと覚悟を決めた。

S駅に着き、S会館まで歩いた。体を動かすとすぐにお腹の具合が悪くなり始めたので、急いで歩き10分位でS会館に着いた。緊急事態を感じたのでエレベータで会場の階に上り、トイレに急いだ。無事に済ませて、式場の入口で記帳をすると「弔辞をお願い申し上げてあるGさんですね」と問いかけられ「はい」と返事をすると、丁重に控室に案内された。ソファーに腰をおろしていると、お茶が運ばれてきた。弔辞奉呈で声がかすれてはいけないので飲むと、とても美味しく、お代りが注がれた。しばらく休むと式場に案内された。

告別式の会場にはY君の写真と花に囲まれた棺が置かれ、献花台以外に宗教色の祭壇はなかった。奥様とご親族に軽くご挨拶して、指定された最前列の席に着いた。

ご子息の挨拶で儀式が開始された。「亡き父のため沢山の方々にお出で頂き、お送り頂けますことを心から感謝申し上げます。父は進行がんが発見されて、高齢のため手術が難しいことを医師から告げられますと、すべての延命処置を止め、苦しみだけを避ける処置をして下さい。と告げ、応急的な治療を受けてから、ホスピスに移りました。そこで苦しむことなく静かに息を引き取りました。」

Y君の活躍を紹介する映像の映写

弔辞奉呈は同窓生、同僚、大学研究室の後継教授、大学での教え子(経済界の一流経営者)、技術指導を受けた団体の代表者の順に、かなり長い心のこもった充実した内容であった。弔辞奉呈中は緊張のため、お腹の不快感は影を潜めた。

参列者一同献花をしてK君の遺影と花に囲まれた棺に深々と頭を下げ、最後のお別れをした。席に戻る途中でお腹の異常を感じたが、式の終わるまで我慢できると考えた。
奥様のお礼のあいさつを頂き、お見送りした。

弔辞奉呈を無事終えた安堵感と先ほど飲んだ2杯のお茶および献花のために体を動かした刺激で、腸が激しく蠕動して、席に戻って間もなく、お腹の不調が強烈になった。私の席が目立つ位置なので、式中に席を外すのを躊躇った。多数の友人、教え子が参列しており、献花は思いのほか長く続いた。お腹の中を液体が音を立てて激しく動き、圧力が凄まじく急速に高まり、谷間が生温かく濡れ出した。厳粛な式でのお漏らしは絶対に避けたいと思い、必死で堪えた。額に油汗がにじみ、体が細かく震え、ついに我慢の限界に近づいたと観念した時、奥様のお礼のご挨拶が終わった。すぐトイレに駆け込んだ。自作パンツの濾過布が濡れていたが、吸水層が吸収し、大事になることを防いでいた。腰を下ろす途中から強烈な水柱が噴出して、楽になった。

Y君のお見送りが済むと、B君が学友達に声をかけ、10数人で駅に隣接するデパートのレストランに行った。私は断わりたかったが、暫く会っていない学友達と懇談したかったので皆に付いて行った。レストランでY君に献杯してから懇談会を始めた。私はビールを飲んだための苦い経験(蟹フレーク)の反省からノンアルコールビールを注文した。おつまみもチーズ、クラッカーなどを少し食べるだけにした。弔辞奉呈で大きな声を出し、喉と口の中がすっかり乾いたので、ノンアルコールビールでも旨かった。大量の点滴の効果も薄れて、脱水症の兆候が表れ始めていた。前回(蟹フレーク)より多くのクラスメートが集まっており、話が大いに弾んだ。「君の弔辞は素晴らしかった、胸がジーンとして、涙がこぼれそうになった」とE君が言うと、多くの友人が同調して、空になった私のコップを除け、生ビールの大ジョッキを私に持たせ、「立派な弔辞奉呈をご苦労さまでした」と叫んでグラスを合わせた。こうなると飲まないわけにはいかない、一口飲むとノンアルコールビールより旨い。続けて飲み始めてしまった。帰りは中距離電車で、トイレがあるので心配ないと考えて、大ジョッキを追加した。飲むと自制心が薄くなり色々なおつまみにも箸を着けた。1時間も経たないのに、お腹の不調を感じて席を外したがすぐに戻り、歓談を楽しみ、飲み続けた。始めてから2時間位で、また強いお腹の不調を感じた。席を外そうとした時、遠くから来た人たちが「そろそろ帰らなければ」と言ってB君に支払いの手配を依頼した。お腹の不調が強烈になってきたが、支払いが済むまで席を外せなかった。一人分の支払額が決まったので、B君に支払いを頼んでトイレに急いだ。トイレに着くと個室は満席であった。ビールの刺激で、一刻の猶予もならない状態に追い込まれていた。自作パンツを履いていたので、普通のお漏らしは吸収できるが、ビールを飲み、我慢を重ねていたので大量の液体が一挙に噴き出し、吸水層で吸収しきれず、自作パンツの裾から流れ出して、床まで濡らす危険を恐れた。今朝の医師のアドバイスを思い出し、障害者用トイレに飛び込んだ。腰を下ろすと同時に、凄まじい勢いで大量のビール混じりの水柱が迸しった。我慢に我慢を重ねていたので、ほっとして、「下痢症患者の至福の瞬間」を感じた途端に、頭の中の血液が抜けていくような異様な感覚に襲われた。失神の前兆と直感して、赤色の緊急連絡ボタンを押した。
どの位時間が経ったかは分からないが、肩を強く叩かれ、「お客様どうされました?」と呼び掛けられて、意識が戻った。「ちょっと待って下さい」と言うと、彼は「ドアの外でお待ちしていますから、声をかけて下さい」と答えて個室から出た。急いで洗浄して、パンツとズボンを上げ、水を流してから「お入り下さい」と声をかけた。彼は個室に入り、「歩けますか?」と尋ね、「担架を用意してありますがいかがですか?」と付け加えた。「担架に乗るほどではありません」と答え、彼に支えられて個室から出た。担架を持った女性がドアの外で待機していた。男女共用なので、中の人が男性か女性かで入る人を変えられるように手配してあったらしい。「医務室でお休み下さい」と言って業務用エレベータに案内された。

トイレの個室が満席で障害者トイレを利用したのは幸運であった。一般のトイレでは非常通報ができないので、失神したまま閉店後の見回りまで、放置されたかも知れない.食中毒で酷い下痢症の時には、医師のアドバイス通り、恥ずかしがらず、遠慮しないで、障害者用トイレを利用するのがよいと思った。

医務室でベッドに寝かされて、看護師(医師?)から「いかがされました?」と問われて、昨日の午後からの経過を説明した。すると「酷い下痢症のようですが病院へ行かれますか?」と問われた。「今朝掛かり付け医に診察して貰い処置もされているので、急いで掛かり付け医院に行き、点滴などの処置をして貰いたいと思います。少し休んだら電車で帰ります」と答えた。看護師(医師?)は「どちらまでお帰りですか?」と聞いたので「C駅です」と答えると、「1時間近くかかりますので、途中のトイレで、気分が悪くなると大変です。ここで少し休んで、用を済ませてからお帰り下さい」と言った。検温、血圧測定を終えると、「普段の血圧と体温は?」と問われたので「130:80位、36℃位です」と答えた。「現在78:70、35℃です。低血圧、低体温です。激しい下痢で体液が失われての低血圧と絶食のための低血糖でしょう。絶食はお腹の負担を軽くするのに有効ですが、長く続けると低血糖となり失神の要因になります。また高齢になると、脳の血流が不足がちになりますので、低血圧も失神の要因になります」と失神の原因を説明してくれた。

若い時には、酷い下痢症でも、休まず働けたが、80歳を過ぎては無理であった。前回(牡蠣フライ)に続いてのトイレでの失神であり、これから十分気をつけねばならないと肝に銘じた。私の経験ではお腹の不調を懸命に我慢しているときは、交感神経が緊張し、血圧が高く保たれているが、無事解放されると交感神経の緊張がゆるみ、副交感神経が優位となり、リラックスし、「下痢症患者の至福の瞬間」を享受するとともに、血圧が低下し、脳の血流が不足して、失神する一因となるのであろうと考えた。
30分位休んでいるとお腹の不調を感じたので、「トイレを使わせて下さい」と言うと「医務室のトイレをお使い下さい。恐縮ですが、終わっても水を流さないで下さい」と言って案内してくれた。赤痢などの伝染病でないか、チェックするためと理解した。トイレから戻った看護師(医師?)は「とても酷い下痢症ですね、ウイルス性の症状と推定します。ウイルス性腸炎では腸管壁の浸出性亢進のため多量の浸出液が腸管内に排出され、腸管内容液が増加して下痢になります。このため絶食し、水分の摂取を控えても脱水状態になるまで、下痢が続きます。高齢者では脱水症状が生命の危険を伴う事があります。対策としては点滴で栄養、ミネラルと水分を補給するのが胃腸への負担が少なく、望ましいのですが、出来ない時には、経口輸液(ORS:水にブドウ糖 2%、塩0.35%、重曹0.25%、塩化カリウム0.15%を溶解したもの)を摂り、下痢で失われた体液、ミネラルおよび栄養を補充します。水やお茶より、経口輸液が吸収され易いのは、ウイルスに傷つけられ吸収不全状態になった腸管上皮細胞のブドウ糖依存性吸収回路を促進させるためです。これもない時はスポーツ飲料(炭水化物6.7%、ナトリウム0.49%、カリウム0.2%、カルシウム0.02%、マグネシウム0.006%を含む)を2〜3倍に薄めたもので代用できます。ウイルス性腸炎では下痢がどんなに辛くとも、ウイルスの排出を遅らせるので、医師の特別な指示が無い限り、止痢剤を服用しないで下さい。下痢が穏やかになったら、細菌やビールスに破壊された腸管の組織を速やかに修復するため、低脂肪ヨーグルトなどの脂肪分が少なく、消化のよい蛋白質を摂ると回復が早くなります。低血糖を防ぐには飴を舐めるとよいでしょう」と親切に説明してくれた。[()内は筆者追加]

ベッドですこし休んでいたら、看護師(医師?)が「とても酷い症状なので、またすぐにお腹の具合が悪くなると思います。当店が契約している病院へ行き、点滴を受け、少し休んで、落ち着いてから帰宅されては如何ですか?」と勧められた。早く帰宅したいので、「中距離電車で帰りますからトイレの心配はありません。お陰様で帰宅できます」と答えた。看護師(医師?)は「それならば、脱水症を防ぐため、経口輸液(ORS)を飲みませんか?」と言ったので「水分はレストランで十分摂りました」と答えると「ビールでしょ、こんな酷い下痢症なのにビールを飲んではいけません。小腸の粘膜が酷く痛んでいるので、水分もアルコールもほとんど吸収できません。飲んだビールのアルコールが腸管を刺激するので、ビールは速やかに大腸を経由して直腸に送られて、激しい下痢を起こしたのです」と言い、コップ1杯の経口輸液を用意してくれた。これを飲んで、丁重にお礼を述べ、立ち去ろうとすると、心配そうに「また失神する危険があります。暖房のないトイレには絶対に入らないで下さい。気をつけてお帰り下さい」とアドバイスしてくれた。
お腹が張ってきたのでトイレによってS駅に行った。グリーン券を買って、乗車しトイレ近くの席に座った。検札に来た車掌に「酷くお腹を壊しているので、トイレで失神の危険があります。C駅近くで私の席が空いていたら、トイレをチェックして下さい」とお願いした。昨夜の寝不足と先ほどのビールの酔いのためぐっすり寝込んだ。C駅の2つ前の駅に着いた時お腹の不具合で目覚め、トイレに急いだ。次の駅を発車した直後に、トイレのドアを激しくノックする音がした。車掌がチェックに来たのであった。「大丈夫です、有難う」と答えて、ドアを開けた。間もなくC駅に着き、タクシーで帰宅した。

予定よりかなり遅くなったため、家内が心配していた。「無理に出かけたので、途中で倒れたのではないかと心配していました」と言った。告別式とその後の出来事を手短に話した。家内は「お腹が酷い状態だったので、この間のような惨めなこと(蟹フレーク)になったのではないかと、とても心配していました。酷くお腹を壊しているときには、絶対にビールを飲まないで下さい。このような時のために携帯電話を持つことにしましょう」と私の嫌いな携帯電話への加入を催促された。途中で家に電話をかけたいと思ったが公衆電話が見つからないのに驚いた。

遅くなったので、掛かりつけ医院に行くことが出来なかった。酷い下痢症にも拘わらず、ビールを飲み、おつまみを食べた付けが激しく回ってきた。小腸の粘膜が酷く痛んでいたため、消化吸収できなかったおつまみが大腸に急速に送られて、異常発酵したのであった。夕刻からお腹が張りだして、バンドがきつくなり、緩めたがすぐにまたきつくなった。お腹は膨れ上がって皮膚が破れるかと心配した。同時に腹痛が耐えられなくなった。トイレで腰を下ろし、お腹に少し力を入れると、大量のガスと消化吸収できなかったおつまみが混じった黄土色の液体が凄まじい音とともに爆発的に噴き出し、飛沫を撒き散らした。大量のガスの放出で腹痛が軽くなった。飛散した飛沫で便器がひどく汚れた。感染の危険を心配して、一階のトイレを私専用にした。朝からの活動で疲れ切ったので、スポーツドリンク、家内に作って貰ったリンゴジュースと乳酸菌製剤を飲み、吸水層付きのおむつを着け、ベッドに入るとすぐ眠りに就いた。

1時間少し眠ると、強烈なお腹の張りを感じて目覚めた。トイレに急ぐと、先ほどと同じことが起きた。それから数回目覚めて同じことを繰り返した。明け方には未消化のおつまみが出尽くして、シューと水鉄砲のような細い黄土色の水柱が噴き出すようになった。ようやく徐々にお腹の調子の回復を感じた。朝食にはヨーグルトとリンゴを恐々と食べたが、とても旨く感じた。
祝賀会の1週間後の集会で、居酒屋風レストランの話が出た。T君が「酷い食中毒で苦しんだのは僕一人だった。食後30時間位経った明け方に、強烈な嘔吐に続いて、凄まじい下痢が始まった。下痢が始まると、嘔吐は止まったが、立て続けの下痢で2日苦しんだ」医者に行くと、「ノロウイルスによる食中毒です。一緒に食事した人に同様の症状が複数人あれば、お店に通告して下さい。人数が多ければ、保険所に報告します」と言われて、参加者全員に電話した。「結果は軽い下痢症が4人、無症状が6人、不在が1人であった。医者に報告するとノロウイルスによる食中毒の可能性が高いが重症者が1人なので、断定は難しいと言われたので、そのままにした」「G君は東京に行ったとのことで、無事と判断したが?」と私に向かって言った。「僕は嘔吐しなかったが、君より半日位早く強烈な下痢が発症して苦しんだ。翌々日、親友の葬儀で友人代表として弔辞を述べなければならなかったので、医師の勧告を無視して、東京に出かけ、式場、帰り道と帰宅後の夜中に大変な苦しみを味わった。重症のノロウイルス食中毒の下痢を我慢するのは大変だった」と答えた。T君は「君は東京まで行って、葬儀に参列し、弔辞を述べ、無事帰れたのは僕の経験では驚きだ」と付け加えた。N君から「ノロウイルス食中毒の下痢はものすごく大変と聞いていたが、どんなに苦しかったの?」と質問が出た。これに対して、T君は「恥ずかしい話だがフランクに話しましょう。凄まじい下痢なので、朝食を絶食し、医者から帰宅して、皆に問い合わせの電話をした。その後TVを観ていた時、お腹が急に張って苦しくなったが、劇のクライマックスなので、我慢してTVを観続けていると、突然くしゃみが出て、お腹に力が入り、お腹の中の液体が一挙に噴き出して、下着、ズボンから愛用の椅子パットまで濡らしてしまった。あんなひどい下痢は生まれて初めてだ。妻が酷いお漏らしに驚いて濡れた衣類を塩素系の消毒液につけて処理した。洗濯を終わったら、ズボンと椅子パットは脱色して使い物にならなくなっていた。この後昼食、夕食も絶食し、医者に勧められたスポーツドリンクを僅かづつ飲んで喉の渇きをいやした。口からは僅かの水分しか入れないのに、お尻から1時間おき位に水様便が強烈に噴き出し、いつどこにいる時でも突然襲ってきて、とても我慢できなかった。一階のトイレを僕の専用にして、いつでも飛び込めるようにした。体の中のどこにこんなに水分があるのだろうかと不思議に思った。この状態が翌日の朝まで続いた。その後徐々に穏やかになり、夕方にはほぼ回復した」と答えた。私が「腸管粘膜上皮に侵入したノロウイルスが炎症を引き起こし、腸管壁の浸出性を亢進させるので、多量の浸出液が腸管内に排出され、薄い黄土色の濁った水柱が激しく噴き出す下痢になる。このため絶食し、水分摂取を控えてもウイルスの活動が除去されるか、脱水状態になるまで激しい下痢が止まらない。下痢を止めようとして、水分摂取を控え過ぎると脱水状態になり、意識を失うことがある。脱水状態は下痢より危険で、高齢者では命を落とす危険もある。ただし2〜3日で自然に回復して、一般的に予後の経過は順調である。今回のノロウイルス下痢症は、私が経験した中で最も重症であった。これより酷い下痢症はコレラである。コレラ菌の出す毒素によって、腸管壁の腺窩細胞からの腸液分泌が亢進し、凄まじい下痢が一週間近く続き、水分の補給を続けても、体重の15〜20%の体液が失われ、やせ細ってしまう」(マンゴーシャーベット)と付け加えた。N君が「研究会の時(牡蠣フライ)君が失神したのはノロウイルスが原因だったのか」と言った。「その通りです。あの時は皆様にご心配をかけて申し訳ありませんでした」と私が言うと、T君は「あんなに酷いお腹の状態を我慢して、よく纏めたね、自分の体験から、随分苦しい状態を耐えたのであろうと感心する」と言った。

私は参加者の食事の内容と血液型を尋ねた。無症状6人中B型4人、以前に生貝に中ったので食べなかった1人はO型、お腹を壊していたので生物に箸を着けなかった1人はA型、軽い下痢症4人はO型が1人、A型が3人、重症者はT君と私でO型であった。血液型がB型の人はノロウイルスによる食中毒に罹り難いとの学説(アサリ)が実証されたようである。G.P.S. (Dr.GERI)

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