特別投稿 GPS No.14

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投稿者/G.P.S.     No.14     2008/11/20

仕出し鮨 … 新鮮なるも造り置き

前日
晩秋に近い日のことである。講演会終了後の昼食・懇談会で、仕出し鮨が用意されていた。造り置きされた仕出し鮨を食べて、食中毒を度々経験しているので、口にするのは怖かった。翌日から三陸海岸旅行に行くので、お腹を壊すことを恐れた。しかし、講演内容が好評で、質問と意見が続出し、終了時間が30分遅れ、午後に約束していた会合に出席するには、帰宅して食事をする時間の余裕がなくなった。また折角用意された食事を断るのは主催者に失礼と思い、頂く決心をした。上等な仕出し鮨でとても美味しかった。  
1日目
心配したとおり、早朝に強烈なお腹の異常で眼覚めた。腸炎ビブリオ菌かウイルスに遣られたらしく、土石流のような強烈な下痢が始まり、一時間おき位にトイレに駆け込むと、滝のような水柱がほとばしった。下痢症状からはノロウイルスらしかった。この秋から新種のノロウイルスがまた出現したのかも知れない。ノロウイルスは変異が早く免疫の獲得が難しいとのことである。三陸海岸旅行はとても無理かと考えたが、発熱、嘔吐は無く、腹痛も軽微であって、下痢症に対応できれば、行けると考えた。しかしウイルス性の下痢症に止痢薬を服用すると病状が長引き、腹痛が激しくなってとても苦しんだ経験があるため、薬で安易に止めることができない。絶食と乳酸菌整腸剤の大量服用で対処することにした。腸炎ビブリオ菌かノロウイルスであれば、今日と明朝は苦しむが明日の午前中には軽快すると判断した。
紅葉のシーズンを逃すのは残念である。また当日キャンセルはもったいない。家内は「いつかのようになったら大変だから旅行は無理です。今回は止めて、来年、行きましょう。」【「殻つき牡蠣のオーブン焼き」を食べて食中毒になった時の失態】と言った。私は高分子吸水剤を利用した下痢症に対応する自作パンツ【注:「カウンターの鮨」に作り方を紹介 以下自作パンツと略称する】を使用して、切り抜けることを計画した。家内に初めて自作パンツを見せて、「これを使えば、最悪の事態が発生しても、水分を吸収し、防臭効果もあるので、周りの人に気付かれずに旅行が出来る。」と説得した。苦労して考案した自作パンツが旅行のような過酷な状態で役立つか試してみたいと考えた。家内はしぶしぶ計画通り旅行に行くことに同意した。
朝食は紅茶だけで我慢し、中距離電車で東京駅に向かった。乗車して間もなく強烈にお腹の異常を感じて、トイレに急いだ。東京駅に着くと、再びトイレに駆け込んだ。新幹線への乗車前に添乗員に、「お腹を壊しているので、トイレのそばの席を確保して欲しい」と頼んだ。添乗員は「ご体調が優れなければ、中止されてはいかがですか」と同行に不安を示す表情で答えた。お腹を壊している人は旅行中の食事による症状の悪化、車中での嘔吐、ホテルでの寝具の汚染などが心配されるので、添乗員はトラブルを恐れて、旅行の中止を勧告したのである。「一過性の下痢で、すぐ回復すると思うので、決して皆さんに迷惑を掛けるようなことはありません」と強く答えた。仕事をしていた時には、酷い下痢症でも休まずに旅行した経験が何度もあった。団体旅行の皆さんに迷惑を掛けない自信は十分にあった。このように断言したため、バス乗車中の緊急時の臨時トイレ休憩、病人食の手配などを添乗員に頼み難いことになった。
新幹線に乗車し福島を過ぎた頃、家を出てから3回目のトイレから席に戻ると、家内は酷いお腹の状態を心配し、「仙台で下車して引き返そう」と強く言い出した。パック旅行なので途中で引き返すことは面倒なので、八戸まで行って無理なようなら引き返すと約束して、八戸到着直前までお腹の不具合を懸命に堪えた。脱水症を防ぐためトイレのたびに飲んでいたスポーツドリンクも止めた。八戸に着く前に、我慢していたお腹の中の物を無事放出し、自作パンツを着用した。家内には「お腹の状態がかなり良くなった」と話し、安心させて、旅行を続けることを承諾させた。
昼食を絶食し、お腹の不具合を避けるため水分摂取も避けた。しかしお腹の不具合は収まらなかった。長時間のバス移動中のトイレ休憩、ローカル鉄道駅と海岸の絶景を楽しむための停車時には必ず個室を訪問して、水柱をほとばしらせた。度々の訪問で、「お腹の状態がかなり良くなった」と言った嘘がばれてしまった。「観光地のトイレ探訪に来たみたいね」と家内から皮肉を言われた。水分摂取を避けたので、お腹の不具合の発生間隔が長くなり、不具合の発生とトイレ休憩のタイミングが合って、あまり苦しい我慢をしないで、ホテルに無事到着できた。
ホテルに着くと喉の渇きに耐えられなく、お茶を3杯飲んだが癒されず、いつでもトイレに行ける安心感から気が緩み、魔法瓶に冷やされていた水を立て続けに3杯飲んだ。お腹の不具合を避けるため、無理に水分摂取を控え、脱水状態になっていたので、冷水がとても旨く感じた。少し休んで、大浴場に行き、温泉浴を楽しんだ。お腹をよく暖めてから展望のよい露天風呂に移動した。晩秋の北東北の外気は意外に寒い、お腹が冷えたのか、先ほど飲んだ3杯の冷水のためか、突如、強烈なお腹の不具合に襲われた。更衣室にあるトイレは離れており、間に合わそうにない、間に合っても使用中の危険がある。止むを得ず、大浴場に戻り、両隣に人のいない衝立つきの洗い場にしゃがみ込んで、シャンプーの泡でお尻を覆い、シャワーのお湯をお尻の下の床面に向けて強く流しながら、お腹の力を加減し、音を忍ばせ、静かに液体をしゅうっと出した。朝から食べ物を口にしていないので、水瀉便は殆ど液体で、嫌な臭いも無く、シャワーの大量のお湯とシャンプーの泡に紛れて、すぐ横の排水溝に吸い込まれた。浴室に人影が少なく、この不始末に気付いた人はいなかった。再びよく温まって部屋に戻った。
家内は翌日のために、夕食を絶食しろと言う。お腹の状態からは絶食しなければならないが、朝、昼ともに絶食して、猛烈にお腹が空いていた。消化のよい物以外は口にしないと約束して、食事の部屋へ出掛けた。目の前に並んだご馳走には我慢ができず、少量のビールと刺身、蒲鉾、海老、かに、茶碗蒸し、汁ものを家内に睨まれながら、かなりの量を食べた。ご飯はよく噛んで重湯のようにしてから飲み込んだ。海老の天ぷら、焼き魚などの美味しそうな好物には明日のことを考えて、箸を付けなかった。旅行の楽しみの半分を占める土地の珍味を食中毒に奪われた悔しさは忘れられない。部屋に戻って、ベッドの腰の部分にはポリシートを掛け、その上に厚手の大型タオルを敷いて最悪時に備えた。早朝から目覚めていたための睡眠不足に旅の疲れが重なり、横になるとすぐに眠りについた。
2日目
明け方早くにお腹の異常を感じて目覚め、トイレに急いだ、夕食で口にした物がよく消化されないまま、滝のようにほとばしった。ベッドに戻って、30分も経たないうちに、再びトイレに駆け込むと、激しく水柱がほとばしった。起床時刻までに数回繰り返し、お腹の中のものをすっかり出し終わったが、一時間おき位に、お腹の異常を感じて、トイレに行くと臭いの殆どない黄土色の液体がしゅうっと噴き出した。家内から「昨日の夕食を我慢しなかったので、今朝は大変みたいだけれど、どうするの?」と問い詰められた。自作パンツの使用で切り抜ける心算だけれど、自信はない。家内に「お腹の中のものをすっかり出したので、大丈夫だ」と答えた。
しかし、出掛けるときに予想したよりはるかに重症である。朝食は少しのヨーグルトと紅茶を口に入れただけで我慢した。午前の行程は一般道を通り、トイレ休憩までの時間が長いので、自作パンツを着用した。お腹の異常を長く我慢して、多量の液体を一度に噴出すると、吸水層の吸収が間に合わなくなり、漏れ出す危険があるので、異常を感じたらすぐにお腹に軽く力を入れた。生暖かい液体がお尻を濡らすが、吸水層がかなりよく液体を吸収し、じきに不快感は軽くなった。2回目ぐらいから、吸水層に吸収できなかった粘液がろ過布に付着して冷たくなり、気持ちよくなかった。しかしトイレ休憩までの苦しい我慢の必要が無く、トイレに駆け込んでも、混んで待たされる凄まじく辛い思いをせずに済ませられたので、激しくお腹の不調が続いたが、バス旅行を楽しめた。臭いも音も漏れないので隣席の家内にもこのことは気付かれなかった。脱水症を防ぐためスポーツドリンクを少量ずつ飲んだ。名所の海岸を観光するために、バスから降りて歩く行程とミニクルージングを楽しんだ。濡れた自作パンツを穿いていると多少歩きにくいが、団体行動から遅れるようなことは無かった。
お腹の具合が回復する兆しが全く見られないので、昼食も絶食し、お茶だけを口にした。休憩中にびっしょり濡れた自作パンツをトイレで取り替えた。下着のロングパンツは自作パンツの裾に重なる部分が濡れただけであった。吸水層が液体を吸収したので、心配した漏れ出しを防ぎ、自作パンツが今回のような症状には役立つことを実証できた。
午後の行程では海岸の名所を見て歩くので、トイレを利用できる機会が多くあるが、症状が酷いので短い間隔でも突然のアタックを我慢できる自信が無く、再び自作パンツを着用した。乗車中に、心配したとおり、急激なアタックに3回襲われたが、自作パンツのお陰で、苦しい我慢をせずに切り抜けた。トイレ休憩で停車しても、座席に座っているので、家内はお腹の不具合が軽快したと喜んで、「お腹が落ち着いてよかったね」と呟いた。
トイレ休憩の時に席に残っていたのは、自作パンツが汚れている時には、汚れたお尻が便座を汚すため洋式トイレを使えない。和式トイレで激しく水柱をほとばしらせると、飛沫が飛び散り、ズボンの裾、靴が汚れるので困る。さらに、しゃがみ込むときに、下着を汚さないように汚れた自作パンツを下げるのが難しいことが分かったので、トイレを敬遠したのであった。(自作パンツは汚れると、交換しない限り、トイレを使うのが難しくなるのが欠点である。狭いトイレで、履き替えるのも困難である。)
ホテルに着くとすぐに部屋の浴室で汚れた体を洗い、大浴場に行った。海の眺めのよい露天風呂はお腹を冷やすことを怖れて、残念ながら諦めた。
夕食はビール少量とあわびの踊り焼き、刺身、かに、茶碗蒸し、汁ものと少量のご飯を口にした。家内は自作パンツで処理していたことに気付かず、症状が軽快したと思い、昨夜のようにうるさくは言わなかった。ただ、「あわびの踊り焼きはお腹に悪いのではないか?」と注意したが、私は諦められなかった。明日のことを考えると怖かったが、美味しかった。他にも三陸海岸の珍味が並んでいたが、早朝の苦しみを思い出すと、箸を付けることができなかった。食事を終える直前に、突然お腹の不調を感じて、食事を切り上げ、急いで部屋に戻った。食べ物を口にした刺激で、腸が激しく蠕動し、激しく水柱がほとばしった。昨夜と同じようにベッドを用意すると、お腹の不具合で早朝から目覚めていたため、急劇な睡魔に襲われて、家内が部屋に戻る前に眠りに就いた。
3日目
0時少し過ぎに、激しい腹痛で眼が覚めた。トイレに駆け込むと噛み砕かれたあわびの踊り焼きなどが混じった水柱が凄まじい勢いでほとばしった。家内が心配したように焼きあわびは消化できなく、腸炎を重症化させてしまった。ベッドに戻って30分位で強烈なお腹の張りを感じて、トイレに駆け込と、ガスまじりの液体がシャワーのように、異様な音とともに激しく噴き出した。横になって30分も立たぬ内に再び同じことが起きた。トイレからの物音で家内が眼を覚まし、「やっぱり、あわびの踊り焼きは駄目だったでしょう。お腹が凄く悪いみたい、今日のクルージングは無理じゃない?」と言って、頻繁にトイレに急ぐ私を心配そうに眺めていた。消化できなかった物とガスが出尽くすと、腹痛が軽くなった。喉が渇き我慢できないので、家内にスポーツドリンクを自動販売機から買ってきてもらい、洗面所のお湯で温めて、コップ2杯飲んだ。とても旨く、脱水状態から回復できた。時計を見ると3時半であった。症状が少し改善したようなので、ベッドに横になるとすぐに深い眠りに落ちた。突然急激なお腹の異常を感じて目覚め、寝ぼけ眼で、急いで起き上がろうとしたらお腹に力が入り、凄まじい勢いでお尻から液体が噴き出した。何とか止めようと肛門括約筋を懸命に締めるが、大量の液体の圧力に敵わない。パンツ、お腹を冷やさないように穿いていたロングパンツ、寝巻き、腰の下のタオルが瞬時にびっしょり濡れた。大急ぎで浴室へ行き体を洗った。ロングパンツを穿いていたので、部屋のカーペットを雫で汚すことは免れた。パンツとロングパンツをポリ袋に入れ厳重に封をしてゴミ箱に入れた。寝巻きとタオルは家内に洗ってもらい浴室に干した。ポリシートを掛けていたのでベッドには異常がなかった。
下痢症に慣れている私も、あまりに凄まじい下痢に驚いた。更に症状が悪くなり、どんな不測の事態が発生するかと、心配になった。絶食と激しい下痢で、体力も消耗して、団体旅行について行くのが苦痛になっていた。再び粗相をすると大変なので服に着替えて、トイレに通い続けた。ついに弱気になって、「今日のクルージングは駄目かも知れない、食べても飲んでも、超特急でお腹を通過し、吸収できない。腸管からの体液の滲出が激しいので、脱水症の危険が怖くなった。僕は病院に半日入院して、点滴をしてもらい、夕方に仙台で、皆に合流しよう。君は皆と一緒にクルージングに行きなさい。」と家内に告げと、家内は「そんなこと出来ません、心配で一人にして置けません。コレラに罹った時の始めのように、頬がこけて、眼が落ち窪み始めています。私も病院について行きます。」と答えた。「有難う、まだ時間があるからよく考えよう」と応じた直後、急なお腹の不快感で、トイレに入ると、黄色の絵の具を薄めたような液体がしゅうっと噴き出した。30分位して、再び同じようなにお腹の中の液体を出したら、腸内に何も無くなったようで、お腹の異常が急に治まった。空腹を感じて、スポーツドリンクの残りを体温近くに温めて、少しずつ飲んだ。暫らくすると、スポーツドリンクの糖分を吸収できて、些か空腹が満たされた。
私は病院に半日入院して、点滴を受けてゆっくり休みたかった。しかし家内は私を置いて、クルージングに行かないと言う。家内は奥松島湾のクルージングを楽しみにしていたので、何とか行かせたい。苦しいことがあるかもしれないが、家内と出かける決心をして、「お腹が落ち着いたので、クルージングに行ける」と家内に告げた。「本当に大丈夫、さっきまでお腹がとても酷かったでしょ、何かあったら大変よ」と反論したが、内心では喜んでいることが言葉の響きで理解できた。お腹の状態に自信はなかったが、昨日役立った自作パンツの助けで乗り切ることにした。最終日で、歩く行程は僅かであるが、体力が低下して、皆と一緒に歩くのはとても大変であろうと心配された。不測の事態を発生させて、団体の皆さんに迷惑を掛ける危険も恐れたが、何とかついて行くことにした。
朝食は紅茶と行動するのに必要な最低限のエネルギーを確保するため、ヨーグルトを多めに食べた。食事後、お腹の異常を感じなかったので、クルージングに行く用意をした。ホテルを出て30分位で登米に着き、町の自由観光が始まった。歩く元気が無く、何時お腹の不調に襲われるか分からないので、家内を観光に送り出して、喫茶店で静かに紅茶を飲み、休んでいると突如お腹の不具合を感じて、トイレに駆け込んだ。自由観光で歩いていたら、辛い我慢をしなければならなかった。今日の急激なアタックは堪えるのがとても難しい、お腹の異常を感じ我慢していると、すぐにお尻が濡れ出すので、持参した最後の自作パンツを着用した。
早朝から、多量の体液が流失したため、喉が渇いた、飲み水を制限すると脱水の危険が高くなるので、急激なアタックは怖いがスポーツドリンクを多めに飲んだ。
バスに乗り45分で奥松島湾に着き、遊覧船に乗り込んだ。奥松島湾クルージングの景色は素晴らしかった。外海に近いので波が荒く、小型の遊覧船が大きく揺れた。大きく揺れるたびに、前の椅子の背もたれに手を掛けて腰を少し浮かせてバランスをとった。大きな波が来たとき、お腹に強く力が入って、液体が激しく漏れ出し、お尻と太ももの付け根を生暖かく濡らした。濡れた液体が冷えると冷たくて、とても気持ち悪いが、自作パンツの吸水層が吸収してくれ、漏れ出す心配は無かった。隣席の家内にも気付かれなかったようで、船が港に近づくと、「お腹がだいぶよくなったようで良かった、今朝は凄く心配したが、奥松島湾のクルージングができてとても楽しかった。こんなに揺れてはトイレに行くことが出来ないので、大変なことになるのではないかと心配していたが、何事もなくてよかった」と、自作パンツがびっしょり濡れていることを知らずに、明るく言った。自作パンツを着けていなかったら下着、ズボン、靴、床まで濡らしてしまう大失態となっていたであろう。
午後は3時間ほどの自由時間であった。海岸のレストランで昼食を摂った。何とか旅行を終えられると思うと、安心感が出て、暫らくぶりで昼食を半分ぐらい摂り、制限していた水分も十分に飲んだ。3日間続いた下痢と絶食のため、疲労困憊し、歩く体力がなく、さらにお尻の粘膜が爛れて歩くと強く痛むので、家内を名勝の散策に送り出して、喫茶店の2階に入り、一人で紅茶を飲みながら松島の絶景を眺めて休んだ。汚れた自作パンツを取り替えたいが全部使い尽くしてしまった。昼食を取ったため、お腹が活発に動き出し、強いお腹の異常を感じたが、お尻が汚れているのでトイレを使うのが難しい。止む無く、椅子に腰掛けたまま腰を浮かし、軽くお腹に力を入れると、液体がしゃーと自作パンツを直撃した。自作パンツの吸水層が飽和状態に近づいたらしく、腰を下ろすとお尻が濡れて、とても気持ちが悪かった。名勝の散策から戻った家内は「暫らくぶりに松島海岸の景勝を楽しんだ」と言ってご機嫌であったが、私は先ほど摂った昼食を消化できず、お腹が苦しくなってきた。
予定の出発時刻にバスに乗車して暫らくすると、お腹の異常が強烈になるのを感じた。仙台駅まで30分位なので何とか我慢できると思って懸命に堪えた。市街地に入ると、駅まで僅かの地点で道路が渋滞していた。お腹の不具合はさらに強くなったが、自作パンツの吸水層が限界に達していたので、これ以上の液体を流出させると自作パンツから漏れ出して、下着、ズボンのみでなくバスのシートや床を汚す危険があった。駅のトイレまで我慢しようと、肛門括約筋を締めて懸命に堪えていた。運悪く道路工事の規制に掛かったようで、バスはなかなか進まなかった。強烈なお腹の中の液体の圧力に、歯を食いしばって堪えているが、腸が激しく動き、液体が腸内を移動する音が聞こえ、体が小刻みに震え、脂汗が滲み出た。漏れ出しを防ぐこと以外何も考えられなくなり、上体を少し屈めて腸の動きを抑え、全力をゲートの締め付けに集中した。
私の苦しそうな様子に気付いた家内は「顔から血の気が引いてとても苦しそうだけど、大丈夫?」と小声で問い掛けた。「駅まで何とか我慢する」と答えたが、液体の圧力がゲートの締め付け力を超えて、生暖かい液体が流れ出し始めた。始めは少しずつお尻を濡らしていたが、急に堤防決壊のように液体が流れ出した。決壊点を締めようと力を入れたが流れを止められなかった。流れ出した液体は自作パンツの吸水量の限界を超え、パイル生地のろ過布をびっしょりと濡らした。途端に、体中の力が抜け、ぐったりして、背もたれに倒れ掛かって、ようやく体を支えた。お尻と太ももが粘液混じりの液体に濡れて、とても気持ち悪いが、静かに座って漏れ出しを防ぐ以外に打つ手はなかった。堤防決壊時の音に気付いた家内が「大変みたい、どうするの?」と小声で囁いた。「例のパンツを着けているから、大丈夫だ。臭いはしないか?」と聞くと、「サワークリムのような臭いがするが、嫌な臭いでないから、気にしなくて大丈夫」と答えた。朝食のヨーグルトが大量に服用した乳酸菌製剤で乳酸醗酵したのであった。
やっとバスが駅前の駐車場に着いた。席から立ち上り、床に漏れ出しが無かったことを確認して、バスを降りた。降り口にいた添乗員が「お体の具合悪かったようですが、よく頑張られましたね」と笑顔で声を掛けてくれた。3日間続いた激しい下痢と絶食で、日ごとに顔が窶れ、憔悴しきっていたので、添乗員は私が今にもダウンするのではないかと心配し、行動に注目していたが、落伍せずに最終地に着いたので、安心したのであろう。早く歩くと自作パンツの裾から液体が漏れ出すのが判るので、ゆっくり歩いた。後ろから歩いてきた仲間の人たちは足早に私達を追い抜いて行った。
仙台駅での新幹線への乗車手続きは家内に任せて、トイレに直行し、手洗いでタオルを濡らして、個室に飛び込んだ。ズボンを下ろすと、ロングパンツの自作パンツの裾から下が膝の部分まで、びっしょり濡れていた。ズボンの内面も濡れたが厚手の毛織物のため滲み込むことは免れた。バスからトイレまでゆっくりと歩いたが、自作パンツの中に溜まっていた粘液混じりの液体が歩く時の振動で、漏れ出したのであった。汚れた自作パンツとロングパンツを脱ぎ捨て、濡らしたタオルでズボンの内面とお尻・太ももの汚れをふき取り、持参した最後のパンツに履き替えた。汚れた自作パンツ、ロングパンツとタオルを2重のポリ袋に入れ、密封してゴミ箱に捨てた。
仙台からの新幹線でもトイレに近い席が指定されていた。お腹の不具合は続き、乗車するのを待ちかね、トイレに駆け込み、不消化物が混じった水柱を激しくほとばしらせた。家内は仙台名物牛タン弁当を美味しそうに食べ始めたが、私は紅茶を飲むだけで夕食を我慢した。その後、お腹の不具合は少し収まり疲れと睡眠不足ため、座席で眠り続けて、東京駅に無事着いた。
中距離電車に乗り換え、帰宅駅に近づいた時、強烈なお腹の異常を感じた。3日間毎日20回以上も洪水のような激流の通過で傷つけられ、昨日と今日は午前中からアルカリ性の強い消化液の混じった液体に浸されていたお尻の粘膜が酷く爛れ、激しく痛んだ。トイレットペーパが触れると凄まじく痛く、出血するため、家の温水洗浄トイレまで我慢することにした。駅でタクシーに飛び乗り、家に着くと支払いを家内に任せて、トイレに駆け込んだ。やっと間に合い、昼食で口にした不消化物が混じった水柱を激しくほとばしらせて、お腹の中の重圧をすっきり解消し、食中毒に苦しむ者のみが味合う至福の瞬間を満喫した。途端に体中の力が抜けて、意識が少し朦朧となり、立ち上がれず、腰を下ろしたまま暫らく休んでいた。心配した家内に声を掛けられ、意識が戻って、慌ててトイレから離れた。

三陸海岸の景色と温泉は素晴らしかったが、普通なら外出できないほどの食中毒の激しい下痢症との闘いの苦しみの旅を終えて、やっとの思いで家に帰り着いた。下痢症対応自作パンツの活用でたびたびの最悪事態を誰にも知られず切り抜けられたのは不幸中の幸いであった。家内は薄々気付いていたようであったが何も言わなかった。しかし美味しそうな三陸海岸の珍味を半分も口にできず心残りで、仕出し鮨に手を付けて食中毒に襲われたことが悔やまれた。
ノロウイルス下痢症は絶食すれば、通常2日位で回復するが、目の前に並んだ、美味しい料理を我慢できなかったため、腸炎を酷く重症化させ、長引かせてしまった。前夜の食事を絶食した4日目の朝から、ようやく回復の兆しが見られた。絶食と分泌性下痢症による体液の喪失で体重が5Kg減少した。10Kg減少したコレラ?罹患に次ぐ大ダメージであった。

下痢症対応自作パンツはノロウイルスなどの分泌性下痢症に罹患した時に、絶食しても止めることのできない腸管から分泌される殆ど水分だけで、臭いも微弱な水瀉便に対しては吸収力があり、液体と臭いの漏れ出しを防げるので、緊急時の役に立つことを確認できた。ただし、仙台駅前での経験のように自作パンツの吸水量の限界を超えると、裾から液体が漏れ出すので、吸水量の限界を超えないように取り替えねばならない。パンツ表面はポリオレフィン系フィルムで出来ているので、液体が染み出すことはないが、裾が強固に締め付けられないので、吸水層に吸収できなくてパンツの中に残った液体が漏れ出すのである。パンツの表面フィルムは全面に肉眼では見えないミクロの穴があけてあり、液体の染み出しを防ぎ、通気性(透湿性)を確保している。
高分子吸水剤はそれ自体の100倍の水分を吸収する事ができるが、尿では吸収率が半分くらいに低下し、市販のパンツで600ml位が限界で、アルカリ性の強い水様便の吸収率はさらに低下すると言われている。今回の経験では300ml以下でなかったかと推定する。また、粘液が多く含まれていたり、不溶性の繊維質が混入していると高分子吸水剤を包んでいる濾過層が目詰まりして、吸水力が急速に低下し、吸収されなかった液体がパンツの裾から漏れ出す危険があると言われている。このような理由から漏れ出しの限界を保障できないので、外出時に着用可能な下痢症対応パンツはいずれのメーカーも市販していない。
今回の旅行は大変な苦しみの連続であったが、激しい下痢症にも拘らず、仕事などで止むを得ず外出しなければならない時のために、苦心して考案した下痢症対応自作パンツの効果と限界を検証できたことは収穫であった。
G.P.S.(Dr.GERI)

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