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プロフィール
 | 投稿者/G.P.S. No.3 | 07/04/22 |
水 … 新鮮
| 5歳のときである、母の父が亡くなり、遺骨を祖父の実家の墓に納めるため、母に連れられて、福島県西白河郡三上村へ行った。山間の高台に建つ醤油醸造業の家は、山からの湧き水の豊富な池と美しい庭を持っていた。山肌からこんこんと湧き出す泉の水が、都会育ちの私にはとても珍しく、美味しかった。
納骨式と親戚を集めた法事が終了した翌日の早朝、強烈なお腹の異常を感じて目覚め、寝室から30m位離れた厠に向かった。激しい下痢に驚いて、眠っていた母を起こした。 その直後にまた急な異常を感じて厠へ急ぐが、入り口の直前で堪えきれなくなり、立ち往生し、下駄の鼻緒まで濡らす大失敗をしてしまう。その場で立ちすくみ、泣いていると母が来て、あまりにひどい下痢に驚く。体を洗ってもらい床に就いてすぐに、再び厠へ急ぐが、また間に合わなかった。激しい水様性の下痢であったが、発熱、腹痛の記憶は無い。 母は携帯便器を借りて、寝床の横においてくれた。今度は間に合ったが、激しい水瀉便のお返しがまわり中に飛び散った。母は急いで新聞紙をまわりに敷き詰めた。 激しい下痢が続き、何も食べずに寝ていた。喉が渇き水を飲むとすぐに下痢をするので、飲水を制限された。喉の渇きはとても辛い、少しずつ飲むことを条件に許してもらった。
2日目も絶食を続ける。ぐったりして起きられなくなる。夕刻には、立ち上がれなくなり、母に抱えてもらい用を済ました。
3日目の朝、うつらうつらしていると、枕元で当家の主人と母が小声で話していた。 当家の主人が「このままでは助かるまい、馬に乗せて隣町の医者へ連れて行かねばならないが、この状態では途中で駄目になるかもしれない。」と言うと、傍にいた大伯母が私の顔をじっと観て、母に「薄い重湯を塩味で飲ませてみな」と言った。母はすぐ重湯を作り、飲ませてくれた。2日間何も食べず、飲み物も制限されていたので、脱水状態と栄養不足になっていたのであろう。とても美味しく飲んで、ゆっくりと生気を取り戻した。大伯母は脱水症の治療法を、経験的に知っていたのである、命の恩人である。
激しい下痢も徐々に穏やかになった。母は私の手を握り締めて、「東京に帰れる」と言って大粒の嬉し涙を流した。このときには、原因は分からなかったが、今考えると泉の水中の病原性原虫クリプトスポリジウムが原因であったと推定される。 【注】クリプトスポリジウム:病原性の原虫で泉などに生息し、激しい下痢の原因となる。
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