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第24話 入院13日目





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退院当日





退院前の教授診察を受けに行くのです。


居心地は決して悪くないけど、やはり家のほうが落ち着きます。


喜び勇んで行った診察で、かなりショックな事をいろいろ知ってしまいました。


出来れば知りたくなかったです。。。





昨日と同様内診台にのり、超音波で卵巣や子宮の様子を見るのです。


特に出血らしい後もなく術後は順調とのことです。


そして、医科大産婦人科トップの教授から発せられた、


「こんなに酷い子宮後屈、みた事ないなぁ。」


この一言から地獄が始まりました。


「・・・子宮後屈ってなんですか?」


「普通、子宮はお腹側むいとるんやけど、


RYQさんの子宮は背中側に倒れこんでるんです。」


「何か問題あるんですか?」


「今まで見た中で一番酷いしなぁ・・・。生理、酷いでしょ?」


「大体1・2日目は鎮剤無しでは凌げない程悶絶してます」


「やはりね。。。。・・・非常に妊娠しずらいかもしれない。


不妊治療必要だったらまたおいで。本日退院OKね」


医科大の中で一番数多くの子宮を見てきた教授から、一番酷いと言われました。


非常に妊娠しずらい=妊娠できない=子供が産めない


女性としての存在意義を失った瞬間でした。


男女の性の違いの一番大きいところは子供を産めるかどうか。


子供も産めない女性は必要なのでしょうか・・・。


子供を生む事全てが女性の存在意義とはいえないけど、


少なくとも結婚すると言う事は子供をもうける事。


子供を生む事が難しいと言われた人と結婚する方なんて、ほとんどいないでしょう。


昔の考えが色濃く残る地域では尚の事。


子供が出来ない事で有らぬ噂を立てられたり、


自分たちと異なるものを排除しようと言う心理から、


差別的に扱われる事が多いものです。


出来れば、一生知りたくなかった現実がここにありました。





病室に戻ってからは、


「教授診断受けてきました。


退院決定しました。


今までありがとうございました」


と、同じ病室の方に笑顔を振りまいてました。


退院が決まったのに気分が重い・・・。


現代医学では解明されていない「心」という場所が、


キリキリむのです。





昼食を食べ、荷物をまとめていると看護婦さんが、


「あれ?今日退院ですか?」


と聞いてくるのです。


おかしいなぁ。。。とおもいつつ、


「ええ。水曜日に先生に言ってあったんですが」


「え゛。何も聞いてないんだけど(汗)」


そう。退院の手続きが出来てなかったらしい(涙)


すぐさま看護婦さんが担当医と連絡とって来ますという事で、待つ事5分。


「あの、先生、今緊急手術中でいつ連絡取れるかわかんないんだけど」


「・・・(滝汗)」


この時点で、時間は午後2時をちょっと回ったあたり。


とりあえず母に連絡。


30分後。


なんとか手術室にいる担当医と連絡が取れたそうで、


退院許可げっと♪。


再び母に連絡し、着替えを始めた。


やっぱり、何も運動しなくても痩せるらしいです、手術ってのは。


ジーンズがスカスカだなんて想像以上でした。


3時過ぎに母が到着し、退院の挨拶を済ませ帰宅なのです。





帰宅中、さっき教授から聞いた話を母にも報告するのです。


「今までみた事ないくらいの子宮後屈なんやって」


「そうか・・・。


子宮は赤ちゃんのベッドやろ?


寝心地悪いベッドだったら誰でも寝れんのと同じで、


着床しにくかったり流産しやすいげん。


きぃつけまっし。


そんなんやったら尚更長男のところには嫁に出せんな」


でもってトドメの一撃。


「もし弟壱号が結婚するなら、


あんたみたいにお腹切った子はいらんね」


とずっぱり(涙)


少し視界が滲みました。


実の親から言われると普通に精神的に堪えます・・・。


うちの存在自体がい・・・。





久々の我が家はやはし心地よかった・・・


と、普通ならここで終わるがうちの場合はまだあったり(苦笑)


いい加減ネタまみれの人生嫌なんっすけど(涙)





母上に迎えに来てもらってそのまま帰宅し、


荷物を小分けにして部屋に運びながら洗濯&整理していくのです。





この5月は何と言っても花粉アレルギーの時期。


元々花粉アレルギーなので、アレルギー発動からくしゃみをすると、


手術跡にが走ります(涙)


*くしゃみする時に腹筋が収縮するからですね。


くしゃみ一つするたびに「いたっ」と言いつつ、


お腹抑えて蹲るってかなり間抜けです(涙)


重いものは持てないので簡単に整理した後、


久々の母の手料理を頂き帰宅した喜びをかみしめるのです。


で、久々の我が家のお風呂ぉ♪ってことで、


脱衣所で服を脱ぎ、腹帯(お腹に巻いてサポートする薄い布の帯)をはずすと、


何やら手術跡(虫垂炎ではない方)がおかしい。


テープ貼ってあるので良くは分からないのですが、


テープの上からでも体液が滲んでいるのが分かる位。


恐る恐るテープを外すと、皮膚が50円玉くらいの大きさで、


黄色の濃いクリーム色に化膿してる感じに(汗)


よくよく考えれば、全ばっこ以来傷口は見てもらっていない(ぉぃ)


病院で入浴日にお風呂入った後も見てもらっていない(苦笑)


冷や汗かきつつ医科大に電話し、婦人科病棟に繋いでもらうのです。


都合よく担当の看護婦さんが出てくれました。


症状を説明すると、


「夜遅いけど(19:30頃)すぐに来てくださ」


とのこと。


で、自分で運転はまだ怖かったんで、母上に運転を頼みこみました。


*ブランクは気にしないけど、シートベルトがお腹にかかるだけでかったので。


20時前に医科大に到着し、母は車で待ってるという事で先程までいた4F婦人科病棟へ。


いやはや、4時間前に皆に送迎された後なのにねぃ(苦笑)


ナースセンターへ行くと担当の看護婦さんがでてくるのです。


隣にある回復室(主に手術後の人が入る。うちも手術後と翌日午前中までいた)の、


ベッドで横になって待ってて欲しいとの事で、傷口を出して待っていると担当医登場。


どうやら、看護婦さんに非常召集かけられたらしい(笑)


テープを外すと、


「ああ、これ、手術の時どうしても一ケ所血が止まらなくて、


電気メスでジュって焼いた所やな」


「そんなに強く焼いたんですか?」


「ん〜・・・少し強く焼きすぎたんかもしれん」


・・・ぅをぃ。


ま、止まっただけでも良しとしないと・・・。


じゃないと手術終わらないですしね?


ピンセットを取り出し、変色した皮膚を触るんですけどね?


「これ、化膿ぢゃなくて表面の皮膚が要らなくなったから壊死した状態やな。」


といい、変色した皮膚をいきなり剥がすのです。


もちろん、い〜〜〜(涙)


擦り傷に出来た薄い幕を剥がすかの様な嫌げなみがずきずきと(泣)


あいも変わらず、今回も


「こういうのになるのは珍しいんだけどなぁ。。。」


だそうですっ(泣)


半分涙目うるうるになってがってると、


いのは、細胞が生きてる証拠」


確かにそうだしわかるけど・・・。


でもいもんはいんぢゃぁっ(涙)


皮膚を除去した所を見ると、


肉の色にちょっと血が滲んでてじゅぅしぃっって感じ♪(壊)


とりあえず、壊死した部分の皮膚を全部除去し薬を塗ってもらうのです。


傷の部分のみテープの代わりに防水加工してあるガーゼを張る事に。


傷の治り具合みたいから週1回ペースで来て欲しいとの事で、


退院時に告げられた2週に1回診察から毎週診察にランクアップしました(笑)


時間外の薬剤の配布はできないため、


注射器に入れて特別に分けていただきました(って書いていいのか?)


駐車場で母と合流し帰宅するのです。


これでやっと家に帰ったって気分になりました。





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