特別投稿 GPS No.25

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投稿者/G.P.S.     No.25     2013/03/10

生カキ … 超新鮮(未浄化処理)

Pさんの祖父は私の祖父の弟である。生まれは高岡市であったが、Pさんの祖父は能登半島七尾湾の網元に請われて婿養子になった。Pさんの父親は網元以外にも事業をしていたので、よく上京した。戦時中、戦後はホテル、旅館がほとんど営業していなかったので、私の家に泊まった。宿代と称して新鮮な魚介類を沢山運んできてくれた。戦中戦後の食糧難時代には最高の土産物であった。

Pさんの孫娘が結婚することになり、結婚式にご招待頂いた。喜んで出席すると返事すると、Pさんから「組合長をしている漁協の組合員がインターネットを取引に利用しているが、セキュリティの確保を十分にしていないので心配している。結婚式の翌日、インターネットのセキュリティについて教えて頂けないか?」と電話があった。OKと返事をすると「往復の航空券とご講義のお礼に海産物を漁協から送らせる」とのことであった。

結婚式当日、羽田から能登空港に向かった。能登空港でふるさとタクシーと言う乗り合いタクシーで結婚式場に着いた。
結婚式と披露宴を終え、Pさんの屋敷に招かれた。Pさんが「今夜は我が家にお泊り頂き、明朝早く漁協の講習会にご案内します。講習会が10時頃終わりますので、時期が早いので、少し寒いが、夕刻の飛行機出発までの間、息子に能登の見どころをご案内させます」と告げてくれた。能登半島の観光を昨秋楽しむ予定であったが、お腹を壊して中止したので[No.24 岩かき]、再挑戦はとても楽しみである。「よろしくお願いします」と答えた。

Pさん一家と私と近隣に住む親族だけの夕食の準備ができた。
Pさんご自慢の生カキが殻つきのまま大皿に盛り付けて出された。Pさんが「これは先程撮れた未浄化処理の生カキです。非常に美味しいが、慣れない人は宝籤に当る位の確率でお腹を壊す危険があります。生食用に出荷するものは紫外線で消毒した海水に1~2日漬ける浄化処理をします。お腹を壊す危険はなくなりますが、カキが痩せて味が落ちます。Gさんはどちらを選びますか?」と問い掛けた。昨年食べた未浄化処理の生岩カキの美味しさとその後の苦しみを比較すると、極めて難しい判断であった。「当地の海がとても綺麗なので宝籤に当らないように祈りながら、未浄化処理の生カキを頂きます」と答えた。
未浄化処理の生岩カキとは違うが、市販の浄化処理した生食用カキとは全く異なる美味しさがあった。生カキの他に殻つきの焼カキ、新鮮なおつくり、焼き魚など網元でなければ味わえない新鮮な海の珍味と地酒を十分に頂いて、楽しい思い出話で時を過ごした。
翌朝早く目覚めたが、お腹の不調を全く感じなかった。昨夜の美味しい料理を思い出しながら、未浄化処理の生カキを選んでよかったと思っていた。PCの講演会に行くため、Pさん、子息、私は早く朝食をとった。食後軽い下痢をしたが、昨夜の食べ過ぎであろうと軽く考えた。子息の運転でPさん、私は地域集会所に着いた。すでに20人くらいの聴講者が待っていた。定刻8時からインターネットの基本とセキュリティ確保の話を90分間話し、質問を受けた。10時前に終わり子息の運転で能登半島観光に出発した。

早めの軽い昼食を海辺のレストランで摂った。食後休んでいるとお腹の不調を感じ、トイレに行くと先ほどよりは激しい下痢であった。車に戻り海岸の景観を観ながらドライブを
楽しんだ。飛行場まで30分位と言う最後の観光スポットに着く直前に、急に強烈なお腹の不調を感じて、この観光スポット入口の喫茶店に車を止め、トイレに駆け込んだ。先ほどとは全く違う、滝のような凄まじい下痢が始まった。通常ノロウイルスに感染した時、私は普通の人より早く、食後8〜10時間位で発症するが、今回は20時間後の発症であった。海がとても綺麗なのでウイルスの数が少なかったのであろう。普通の人は発症しない程度のウイルスなのであろうが、お腹の感染症に弱い私は発症してしまった。
飛行機に乗るのに大変なことになったと心配した。短期間の旅行なので、緊急時に備える自作パンツ[No.13 カウンターの鮨に作り方を紹介]を持ってこなかった。喫茶店で喉を潤し、観光スポットの景観を20分位歩いて楽しんでいると急に再びお腹の不調を感じ、トイレに急いだ。

今朝食べたものが良く消化されずに混じった黄土色の水柱が迸った。車に戻ると、子息が心配して、「お腹大丈夫ですか?」と訊ねた。心配を掛けないため「昨夜の美味しいご馳走を食べ過ぎました。少しお腹が緩くなっただけです」と答えた。
飛行場に向かって車を走らせた。飛行場の管制塔が見えるところまで来たとき、強烈なお腹の不調を感じ始めた。飛行場の入り口で挨拶を交わし別れた。子息は飛行機を見送ると言ったが、トイレに急ぎたいので、固く辞退した。車が飛行場から離れるや否や、トイレに駆け込んだ。やっと間に合って楽になった。広い溜水面と温水洗浄を備えた清潔なトイレで、滝のような黄土色の水柱を降り注いだが飛沫の跳ね返りが少く、快適であった。
チェックインカウンタでトイレに近く、度々トイレに通っても乗客に気づかれない最後尾の通路側の席を指定した。係員は怪訝な顔で「前方の良い席も空いておりますがいかがですか?」と言ったので、「後ろの席が好きです」と答えた。快適なトイレを利用したいので、搭乗最終コールがアナウンスされるまで待合室で過ごし、アナウンスの後に係員に「トイレに行きますがすぐ戻ります」と伝えて、トイレに駆け込み、お腹に力を入れ、シューと水柱を迸しらせた。急いで搭乗手続きをし、最後の乗客として乗り込み最後列に着席した。

搭乗直前に済ませたが、離陸後暫くすると気圧の低下とともに再びお腹の中の圧力が上昇した。飛行機の上昇が終わり、ベルト着用のサインが消灯したので、危機が迫る前にトイレに行こうとしていると飛行機が突然揺れ出した。ベルト着用のサインと機内放送が流れた。飛行機が揺れるとベルトがお腹を締めつけるので我慢が難しい。ベルトを緩くして、必死で我慢を続けていると、ベルト着用のサインが消えた。すぐトイレに駆け込んだ。

我慢の限界を超えていたので、腰を下ろす途中で滝のような黄土色の水柱が小さい便器の溜水面のない底に激しく降り注いだ。水柱の飛沫が跳ね返り、お尻と太腿、便座の裏表と便器の周りをひどく汚した。汚れた便座に腰を下ろすと、ジャーと第2波が強烈に噴出し、ようやく楽になった。汚れた便座の上面を拭き取ったが、周りの汚れに手を付けることは出来なかった。自作パンツの代わりに、ペーパタオルを数枚位重ねて、お尻とパンツの間に入れ、緊急時の備えとした。ズボンが漏れないように、ペーパタオルとパンツの間に小型のポリ袋を挿入した。予備用にペーパタオルを折りたたみ、ポケットに入れた。
席に戻り休んでいると男性客がトイレに入り、すぐに出て、飲み物のサービスをしている客室乗務員に「トイレが物凄く汚れている」と伝え、前方に歩いて行った。客室乗務員がすぐにトイレを点検して、使用禁止の張り紙をドアに張り付けた。その後、トイレに来た人は引き返した。トイレが少ないことで悪評のあるB737なので、長時間飛行であったら、トイレパニックが発生したであろうと想像した。

飲み物のサービスが近づいてきた。下痢発症以来飲み物を口にしていないので、物凄く喉が渇いていた。飲み物を口にするとすぐにお腹の中の圧力が上昇するのは分かっていたが、我慢できずに、リンゴジュースを頼んだ。素晴らしく美味しかった。
飛行機は東京湾の上空に近づき、ベルト着用のサインが点灯し、高度を急に下げ始めた。気圧の上昇で耳に違和感を覚え、つばきを飲み込んだ。リンゴジュースがお腹を刺激し、気圧の上昇が腸管に圧力をかけたので、突然お腹に強烈な違和感が襲ってきた。着陸時のトイレ使用は危険なので厳重に禁止されている。懸命に我慢するしか対応策はなかった。最悪の事態となっても座席シートを汚さないようポリ袋を腰の下に敷いた。肛門括約筋を強く締めて我慢していたが、着陸の時、機体に急激なブレーキが掛ると体が激しく前のめりになり、ベルトがお腹を強く圧迫した。必死でお腹に閉じ込めていた液体がこの圧力で、シャーと押し出されてしまった。自作パンツでなくペーパタオルを使用していたので吸水量が少なく、下着、ズボンが濡れるのを心配した。

飛行機が静かにボーディング・ブリッジに着き、ベルト着用のサインが消えた。トイレの前に着席していた客室乗務員は乗客誘導のため前方に移動した。使用禁止の張り紙が張られたトイレのドアを開けて入り、パンツを下げるとお尻とペーパタオルはびしょ濡れであった。ポリ袋を挟んであったので、パンツとロングパンツが少し濡れただけで、ズボンは無傷であった。トイレに一人取り残されることが心配で、汚れたお尻を処理する余裕もなく、新しいペーパタオルをお尻に当てて、パンツとズボンを上げた。びしょ濡れのペーパタオルを腰の下に敷いたポリ袋に入れ密封して、トイレの隅に置き、急いで席に戻ると、まだ前席の人達が並んでいた。荷物を取り出し、列の最後に並んだ。

空港で最初に見つけたトイレに急いだ。汚れて気持ちの悪いお尻の清浄をして、汚れたペーパタオルを捨てて、予備のペーパタオルをお尻に当て、トイレのない京急車内での再度の緊急時に備えた。物凄く喉が渇き脱水症の危険を感じたので、暖かい紅茶を休憩ベンチで飲んだ。とても美味しかった。

始発の京急エヤーポート線に乗った。京急川崎を過ぎたたころから先程の飲み物のため、
お腹の違和感が強烈になりだした。慣れない駅での途中下車は不安なので、横浜まで我慢を続け、横浜駅のトイレに駆け込んだ。個室は満員で順番待ちの二人がいた。駅ビルかデパートのトイレに行けばよいのだが、そこまで無事にたどり着ける自信がなかった。
待ち列の最後に並んだ。肛門括約筋を懸命に締め付け、腰を曲げお腹の圧力を少しでも軽減しようとした。油汗が流れすごく苦しそうに見えたのであろう、前の人が「随分苦しそうですね」と声を掛けてくれた。「食中毒の酷い下痢で凄く苦しんでいます」と答えた。その時個室のドアが二つほぼ同時に開いた。前の人が「お先にどうぞ」と言って、順番を譲ってくれた。最悪の事態を覚悟し始めていたが、前の人の好意に救われた。
「有難うございます」と丁寧に礼を言って、駆け込んで腰を下すと同時に強烈な黄土色の水柱が迸った。我慢を続け、破局寸前に無事に済ますことができ、体重より重い荷物を下ろしたような楽な気分になった。下痢症患者が享受する至福の一瞬であった。順番を譲って貰えなかったら、我慢の限界を超えて、ペーパタオルでは防ぎきれず、下着だけでなくズボンまでびしょ濡れにする危機であった。このご恩と至福の一瞬は決して忘れられない。

やっと間に合い至福の一瞬を満喫したが、激しく下痢が続いたため体がぐったりして立ち上がれない、暫く腰を下ろし休んで、立ち上がろうとしたら、お腹に力が入ってシューと水鉄砲のような水柱が噴出した。ようやく立ち上がってドアを開け外に出たが、体力を失い、足元がおぼつかない。つたわり歩きをしてトイレの外に出た。

喉が渇き脱水症初期の発熱を感じたので、暖かい紅茶を求めて、中距離電車のグリーン車に乗った。トイレの傍の席に座り、紅茶を飲んでいると車掌が検札に来た。「酷くお腹を壊しているので、トイレで失神する危険があります。C駅に近づいても私が席にいなかったら、トイレのドアを強くノックして下さい」とお願いした。

いつでもトイレに行けると安心すると、眠気が襲ってきた。肩をたたかれ、目覚めると車掌が「お客様、間もなくC駅に着きます」と知らせてくれた。目覚めると強烈なお腹の異状に気付いたが、電車のトイレで済ます余裕はない。駅のトイレは跳ね返りが嫌であり、爛れ始めたゲートを温水洗浄で洗いたかったので、家まで我慢することにした。

駅前でタクシーに乗った。車の振動で体を揺られると、お腹の異状が更に強烈になった。
我慢に失敗すると、お尻に当てたペーパタオル、下着、ズボン、タクシーの座席まで濡らしてしまう危険を感じて、懸命に肛門括約筋を絞めつけ、腰を曲げお腹の圧力を軽減した。異状に気づいた運転手が「お客様とても苦しそうですね、駅のトイレに戻りましょうか?」と問い掛けた。「家に急いで下さい」と答え、懸命に我慢を続けた。

家に着くなり、1000円札を渡し「釣りは納めて」と言って、急いで車を降り、玄関のドアを開けた。この時、帰宅できた安心感から気が緩み、お尻に生暖かい流れを感じた。一刻を争う緊急事態であった。お腹に衝撃を与えないようすり足でトイレに急行し、ズボンとパンツを下ろして、腰を下ろす途中で、滝のような黄土色の水柱が迸り、その一部が便座の後部に激突し、便座と便器の後部を汚した。汚れた便座に腰を下ろし、お腹に力を入れるとシューと第2波が噴出した。家に何とか辿り着けた安心感と激しく続いた下痢のため、意識が朦朧となり、暫く立ち上がれなかった。
ドアのノックで気づき、トイレから出ると、ノックをした家内は「また生カキを食べて、ノロウイルスにやられたのでしょう。先日のように、気を失ったかと心配しました[No23 マカロニ入りサラダ]」と図星を突いた。
汚れた便座の表面を塩素系の消毒液をかけて清掃し、緊急事に何時でも使用できるように「伝染の危険があるからこのトイレは私専用にする」と家内に告げた。搭乗前に空港から「酷くお腹を壊したので、夕食はいらない」と電話を掛けておいたので、家内は夕食を済ませていた。

飛行機搭乗中の苦しみと失敗は話さず、横浜駅トイレで親切な人に助けられた話をした。家内手作りのリンゴジュース、スポーツ飲料と乳酸菌製剤を飲んで、ベッドに入ったが、すぐに強烈なお腹の不具合を感じて、トイレに急ぐと薄い黄土色の水柱が激しく迸った。急激なお腹の不具合でトイレに間に合わない危険を感じたので、おむつを付けた。すぐ眠りについたが30分も経たないうちに強烈なお腹の不具合を感じて目覚めた。トイレに急ぐため起き上がろうとし、お腹に力が入ったら、ジャーと噴き出してしまった。疲労困憊していたのでそのまま寝入って、30分位で再び強烈なお腹の不具合で目覚めた。軽くお腹に力を入れたらシャーと流れ出して楽になった。脱水症が怖いので目覚める度にスポーツ飲料を飲んだ。朝まで同じようなことを20回以上繰り返し、4〜5回に1回びしょ濡れのおむつを交換した。このため、殆ど熟睡できなかった。

翌朝目覚めても、お腹が重苦しくベッドからようやく立ち上がって、浴室でお尻と太腿を洗浄した。朝食は蜂蜜入りヨーグルトと紅茶で済ませた。食後、凄まじい下痢が30分おきくらいに急激に襲ってきた。腹痛は軽いが、お腹の異状を感じてから我慢できる時間がとても短くなった。無理に我慢しているとお尻に生暖かい流れを感じてトイレに駆け込むと、
米のとぎ汁を薄い黄土色に染めたような水柱が滝のように迸って、楽になった。第1波が終わり、立ち上がろうとお腹に力はいるとシューと第2波が噴き出すことも度々あった。

黄土色の水でびしょ濡れとなった大量のおむつを処理した家内はあまりに酷い下痢に驚き、「すぐにお医者さんに診て貰って下さい」と叫んだ。「下痢は凄く酷いが、発熱がなく、腹痛も軽いので、ノロウイルス性腸炎だ、有効な薬はない。点滴をしてもらえば、お腹の負担が軽くなるが、医者への往復、診療の前後の待ち時間中、点滴の間に起こるお腹の不具合に耐えられない。家で静かにしている方が楽で、体力の消耗も少ない。昨夜の立て続けの激しい下痢で、ほとんど寝ていないから医者へ行く体力もなくなった」と私は答えた。
嘔吐の傾向がないので下痢の量に見合うスポーツ飲料を飲めたので、脱水症の心配はなかった。嘔吐があれば、どんなに苦しくても医者に診て貰い、点滴を受ける必要があったであろう。家内は今までのノロウイルス性腸炎に比べて、酷い症状なので心配らしいが、医者へ行く体力がないのでは止むを得ないと説得を諦めた。
昼食時刻近くになっても、強烈な下痢は収まらないが、間隔は少し長くなった。留守中に溜まったメールの処理などの仕事を始めたが、すぐにお腹の不具合を感じ、トイレに駆け込むため仕事がはかどらない。我慢できる時間が極めて短く、お漏らしの危険を感じたので自作パンツを着けた。今回の下痢は頻繁で量が多く、自作パンツの吸水層がすぐに飽和してしまい、度々取り替えねばならないので、濾過布と自作パンツの間に長時間用尿取りパットを挿入した。このパットは大型で、吸水層の容量も自作パンツの半分くらいあるので、面倒な自作パンツの取り換え期間を延長できた。お漏らしをしても、早めにパットと濾過布を交換すると手間もかからず、経済的である。濾過布をパットのサイズに合わせて、小型にした。パットには自作パンツに固定するファスナーが付いているので、体を動かしてもずれない。パットの吸水層が飽和して、吸収できなくなっても自作パンツが吸収するので、漏れ出しの心配がない。酷くお腹を壊して、我慢できる時間が極めて短くなっても仕事を続ける時、または講演会の講師などで長時間トイレに行けない立ち仕事を続けなければならない時に使うと便利で、経済的である。

昼食は紅茶を飲み、蜂蜜入り無脂肪ヨーグルト、リンゴ、チーズケーキを食べた。午前中の仕事の続きを始めた。少しの仕事であったが、強い疲労感を感じ、仕事の途中でソファーで横になり仮眠した。目覚めてから、自作パンツの長時間用尿取りパットと濾過布だけを取り換えて、お漏らしを続けながら仕事を終わらせ、TVを見て休むことができた。

夕食は昼食同様のものを食べて、昨夜と同様におむつを付けて、ベッドに入って暫く眠った。お腹の不調を感じ目覚めるとほぼ同時に生暖かい液体が多量に噴き出した。続けて3回噴き出し、おむつが酷く濡れたので交換した。それからは、夜明け近くまで10回以上目覚めたが、トイレに起きる体力がなく、お漏らしとおむつ交換を続けた。目覚めると喉の渇きを感じ、スポーツ飲料を飲んだ。飲んで暫く経つと、強烈な下痢が襲ってきた。

朝食は昨夜と同じものを食べた。昨夜の睡眠不足と体力の消耗で起きているのが辛く、食後すぐに、おむつを付けてベッドに入った。30分位でお腹の不具合が強烈に襲ってきたが、立ちあがってトイレに行く体力がなく、時間的にも間に合わないのでお漏らしをした。お漏らしで済ますのは体力的には楽であるが、お尻が濡れてとても気持ちが悪い。後処理も大変である。短時間であったがお腹の不具合の合間に、睡眠が摂れた。

昼食を済ませると、お腹の不具合が立て続けに襲ってきた。数回続いた激しい下痢の後は少量の水柱が頻回に噴出した。先ほどの睡眠で、少し元気を回復したので、PCで仕事を始めた。お腹の不具合の間隔が短く、トイレに駆け込むのが仕事の妨げになるので、また長時間用尿取りパット付自作パンツを着けた。仕事を続けるため、椅子に腰かけたまま、お漏らしをしたので、ゲートがアルカリ性の液体に浸かり、体重の圧力を受けたので爛れが酷くなり、椅子に腰かけているのがとても辛くなった。仕事を完了できなかったが、ソファーで横になり休んだ。
夕食を済ませ、汚れた体を入浴で洗浄し、新しいおむつを付けて寝室に行こうとしたら、お腹の不具合が急激に襲ってきた。おむつを付けているので、最悪事態でも被害は少ないと思い、寝室に向かって、歩きだすと、肛門括約筋を絞めていたにも拘らず、ドーと大量の水柱が漏れ出して、おむつの裾から流れだし、パジャマのズボンを濡らした。
おむつは寝ている時には大量の液体を吸収するが、立っている時には裾から流れ出す危険のあることを初めて経験した。浴室でお尻と太腿を洗って、新しいおむつを付けて、ベッドに入った。夜中にお腹の不具合を感じ、目覚めた。久しぶりで数時間熟眠できた。おむつが濡れていなかったので、トイレで済ませたいと思い、おむつを外した。途中でお腹の緊急事態を感じ、急いでトイレに駆け込み、何とか間に合った。夜明け近くまで数回目覚めたが、先程熟眠したので、トイレに通う体力を回復できた。トイレに通うのは大変であるが、温水洗浄した後はとても気持ちが良かった。ゲートの爛れも軽くなった。

朝食後数回下痢に襲われたが、少しずつ回復の兆候が現れ始めた。暫くぶりの熟眠で体力も少し回復した。昼食を摂った後2回お腹の不調に襲われたが、その後は不調を感じなくなった。四日三晩のノロウイルスとの壮絶な戦いに漸く勝利したようであった。

今回のノロウイルス食中毒の病状は経験したことのない激しいものであった。変異ウイルスのため、免疫抗体がなく、病状が悪化し、四日三晩と長期化したのであろうと推定した。
昨年秋に未浄化処理生岩カキを食べてノロウイルスに酷く痛めつけられた[No.24 岩かき]。この時獲得した免疫力が1年位は有効であろう(ノロウイルスに対する免疫は免疫抗体価低下のため、感染者でも1〜2年で失うと記憶していた)と考えたのも未浄化処理の生カキを選択した判断の一因であった。しかし今回感染したのは昨秋に感染したウイルスとは異なるこの冬大流行している変異ウイルスであったようである。七尾湾のきれいな水も大流行の変異ノロウイルスに少しだけ汚染されていたのであろう。
残念ながら、私は食中毒の流行に後れを取ることはなかったようで、再び「食中毒への道」を歩み、凄まじい苦しみに襲われた。
飛行機の中で、着陸態勢でベルト着用のサインが点灯し、トイレ使用厳禁の時、着陸時の制動でお腹が強烈な圧力を受けて、懸命の我慢が水の泡となり、水柱が噴き出してお尻をびしょ濡れにした。(着陸時のトイレ使用は極めて危険なため、もしトイレに乗客が入ると、直ちに機長に通報され、着陸体勢から水平飛行に戻すことになっているとのことである)
帰宅してからも、日に30回以上の頻回の激しい下痢が長期間続く、悲惨な食中毒の苦しみに襲われ続けた。コレラによく似た症状であったが水分を十分に摂取したので、体重の減少は3Kgで、コレラのようなダメージはなかった。(コレラ[No1マンゴーシャーベット]の時の体重の減少は10Kgで, 後遺症に悩まされた)
しかし回復してからも、食事後すぐに襲ってくる激しい下痢に数日間悩まされた。一週間経過したが、体重の減少は殆ど回復しない。体力の衰えに加え、視力も衰えて新聞の細かい字が眼鏡を掛けても読み難くなくなった。

友人の医師に変異ノロウイルスに対する免疫力ついて問い合わせたら、「ノロウイルスは、人の腸管に接着することで感染する。既感染者は、ウイルスの接着に必要な部位を覆って接着を阻害する抗体を持つが、ウイルスに新たな変異が生じると、人の抗体がウイルスの結合を阻害する上で重要な部位を認識できなくなる。この10年で最も患者数が多かった2006年の大流行の際にも、ウイルスのほぼ同じ部位に変異が生じ、抗原性が変化していた。ノロウイルスは2つの遺伝子群に分類され、さらにそれぞれは14と17あるいはそれ以上
の遺伝子型に分類される。また、各遺伝子型に対応した血清型があると考えられ、極めて多様性を持った集団である。従ってノロウイルス既感染者でも、別の遺伝子型のノロウイルスに感染し発病することがある」と教えてくれた。
G.P.S.

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