特別投稿 GPS No.12

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投稿者/G.P.S.     No.12     2008/04/25

貝の刺身(コレラを疑う) … 新鮮

4月始の週末に大学卒業55周年の同期会が開催された。
大学の学生食堂を会場に、校庭の観桜会を兼ねた会合であった。
会費に比較して料理が豊富であった。参加者の年齢を考えて、和食とし、船盛りの刺身と握り鮨の盛り合わせが中心であった。私の好物である、あわび、赤貝、ほたて、ほっき、みるがい、さざえ、などの貝の刺身が眼を引いた。幹事の説明によると会場費が安く、料理を充実できたとの事であった。
鮨をつまむ人が多い中で、私はまず、ビールを飲みながら、貝、まぐろ、ひらめ、鯛、甘エビの刺身、雲丹、子持ち昆布、などを堪能し、次に鮨をつまんだ。
翌日は市役所から依頼されている講演会の講師の予定があるので、お腹を壊さないよう気をつけて、量は控えめにした。しかし、アルコールが回り、旧友と歓談しながら好物を食べると自制心が疎かになった。
歓談と飲食を十分に堪能し、記念写真を撮って、60周年での再会を約してお開きとなった。

遅めの昼食を十分摂ったので、夕食を軽く食べて、早めに就寝した。
夜中に強烈なお腹の異常を感じて目覚め、トイレに急ぐと、凄まじい下痢が始まった。
トイレから戻り、寝入ると一時間も経たないで目覚め、トイレに急がねばならなかった。
ほとばしる茶色の液体の粘度と色がどんどん薄くなり、朝方にはさらさらの薄い黄土色になった。下痢は激しいが、発熱、腹痛、嘔吐はない。十数年前にタイで感染し、帰国直後に発病したコレラ?の発症時とよく似ている。この時はコレラ?とは気付かず、熱帯地方特有の食中毒と軽く考え、受診しないで自己流の治療をした。激しい下痢が長く続いたのに、点滴による治療を受けなかったため、脱水症とミネラル欠乏による後遺症に苦しんだ。【この時は、発症4日目に急激な体重の減少と異常な顔の窶れに気付いて、コレラを疑うようになったが、激しく繰り返す下痢と著しい体力低下のため、掛かりつけの医院へ行くのも困難であった。止むを得ず自宅で静かに治療した。海外の仕事では時間の制約、言葉の問題から酷い下痢症を自分で治した経験と自信があった。(コレラ?闘病記は「マンゴーシャーベット」に記載)】
昨日食べた貝の刺身の中に輸入品が混じっていて、コレラに感染したのかと心配になった。前回と同じ苦しみは味わいたくないので、朝すぐに、掛かりつけの医院へ行きたいと考えたが、講演会が10時から始まるので、帰宅後に受診することにした。

朝食は講演中のお腹の不具合を防ぐために、最低限の飲み物のみで我慢し、タクシーで、会場へ向かった。会場に着いて、主催者と挨拶を交わし、講演の用意を手早く済ませて、講演中のお腹の異状を避けるため、トイレに行ってお腹に力を入れたが不思議と反応がなかった。これならば2時間の講演中は大丈夫だろうと安心て、講師控え室に戻ると、お茶が用意されていた。飲み物を我慢していたので、喉が強く乾いていた。滑らかに話をするためにお茶を一杯飲んだ、とても美味しい、美味しそうに飲む姿を見ていた係りの人が「もう一杯いかがですか」と注いで呉れた。これも飲み干してしまった。

講演を始めて間もなく、先ほど飲んだお茶が絶食で空になっていたお腹の中を急速に動いていくのが感じられた。暫らくすると、お腹の異状を感じ始めた。普段は聴講者の反応を観察しながら、話の内容とスピードを調整し、できるだけ多くの人に理解してもらえるように努力するのであるが、お腹の中の異常な状態に気を取られ、話が単調に流れてしまった。聴講者は100名を越え、会場も広いホールであった。マイクを使ったが、かなり力を入れて話さないと、後ろまで声が届かなかった。
お腹の中でだんだん高くなる液体の圧力に対抗して、肛門括約筋を緊張させて我慢しているが、大きな声を出すと腹圧が掛かり、危うくなる。拡声器のボリュームを上げて、お腹に力を入れないようにして、講座の半分まで済ませ、区切りのついたところで、予定になかった休憩を宣言して、トイレに直行した。絶食し、水分摂取も控えていたが、先ほど飲んだお茶が胃の粘膜を刺激して腸管からの体液の分泌を促し、これらが直腸に送り込まれ、苦しくなったのである。コレラ、ウイルスによる分泌性下痢症の時には、絶食し、水分摂取を制限しても、腸管から分泌される体液による激しい下痢を避けることが出来ない。

講演を再開し、暫らく話を続けると、激しい下痢と水分摂取制限のため脱水状態になっていたので、口の中がひどく渇き、声を出すのが辛くなってきた。水を飲むとお腹の中の液体の圧力が高くなるが、飲まないと声がかすれて出ない、止むを得ずコップ一杯の水を飲んだ。この水で、残りの時間を持ち堪えようとしたが、暫らく話を続けると、また口の渇きを我慢できなくなり、さらに一杯の水を飲んだ。
講演の終わりに近づく頃から、先ほど飲んだ水の影響で、お腹の中の液体の圧力がぐんぐん高くなり、堪えるのが難しくなってきた。必死に堪えて、講演を終え、ほっとしたら、肛門括約筋の緊張が少し緩み、出口が濡れてしまった。すぐ席を外したいが、質問に答えなければならない。聴講者が多く、質問が続出し、質疑の終了まで30分以上掛かるのではないかと危惧された。予定にない再度の休憩は恥ずかしく、できなかった。
椅子に腰を下ろし前屈みになって、お腹の中の液体の圧力に耐え、我慢しながら、質問に答えた。濡れ始めている出口に加わる液体の重圧に耐えるは、表現のしようがない苦しみである。しっかり締めているゲートの僅かな隙間を、脈打つように潜り抜けた液体が少しずつ下着を濡らし始めた。ズボンを通過して椅子の表面の布地まで濡らさないように、ポリ袋を椅子に上に敷いた。
ちょっと気を緩めたり、お腹に圧力が掛かれば、無理に閉じ込めている多量の液体が一挙に噴出し、下着、ズボン、靴から演壇の床までを濡らしてしまいそうな緊急事態に追い込まれた。30分以上も我慢できるとは考えられず、堤防決壊の破局的な惨状が目前に迫ってきた。何とか切り抜けないと、取り返しのつかない醜態を曝すことになると考え、必死で我慢した。脂汗が滲みでて、顔面が蒼白になり、強烈に苦しんでいることが近くの人に読み取られたと思う。

体調がよくないことを事前に話しておいたので、司会者は、私が苦しみながら、回答していることにすばやく気付いた。彼は巧みに質問を整理し、15分ほどで、講演を終了させて、解放してくれた。この15分間はとても長く一時間近くにも感じられた。トイレに駆け込み、多量の薄い黄土色の液体を、滝のようにほとばしらせて、苦しみ抜いたお腹の中の重圧を一挙に解消した。やっと間に合って、体重より重い荷物を下ろせたように感じた。お腹の中の液体の重圧に耐えて、強烈な下痢の苦しみを長時間我慢する苦闘を無事克服した者のみが知る至福の瞬間を満喫した。もし間に合わなくて、最悪の事態を演壇上で曝け出してしまったら、私の恥だけで済まず、主催者にも迷惑を掛け、以後の講師の依頼は絶無になったであろう。

司会者の機転で、最悪の事態は免れたが、パンツとズボン下に薄い黄土色の染みがびっしょりと付いていた。ズボンの内側も濡れたが厚手のウール地であったので、表までは染み出さなかった。こんな惨めなことになるとは予想もしていなかったので、交換用の下着を持ってなかった。止むを得ず、染みをふき取り、パンツの内側にハンカチを当て、パンツとズボン下の間にティシュペーパーを重ねて挟み込んだ。激しく下痢が続き、絶食していたので、漏れ出した液体には嫌な臭いが殆どなかった。お尻が冷たくて気持ち悪いが、会場に戻っても、他人に不快感を与える心配はないと判断した。

食中毒でお腹を壊していて、演壇で苦しい思いをしたことは何回かあったが、講演途中の適切な切れ目で、休憩を一回取るだけで切り抜けてきた。殻つき牡蠣のノロウイルス中毒による激しい下痢の時も講演の途中で一回休憩を取ることで、無事に講演を続けられた。今回も同様に対処出来ると甘く考えた。普段とは違う、コレラ?と同じような激烈な下痢症であることに、気付いていたが、こんな深刻な事態になるとは想像もしていなかった。

トイレから会場に戻ると、聴講者は退場し、司会者が私の講演の資料を片付けていた。司会者は私の体調を心配して、主催者、司会者、主催団体の幹部との懇談を短時間に変更し、用意されていた昼食会への欠席も許してくれた。20分くらいの懇談の後に、帰宅のタクシーを呼んでくれた。主催者と別れの挨拶を交わし、タクシーで急いで帰宅した。

家で少し休んでから、掛かりつけの医院へ行った。3日前からの食事の内容を報告してから、「米のとぎ汁に薄い黄土色がついたような下痢を、夜中から20回以上繰り返しているが、コレラの危険はないでしょうか?」と質問した。医師は「コレラではなく、俗に小児仮性コレラと言われているロタウイルスによる下痢症でしょう。この病気は主に乳幼児がかかる胃腸炎で、成人が罹患発病することは稀です。」と笑いながら答え、「しかしコレラの危険性もあるので、2日経っても激しい下痢が収まらなければ、細菌検査をします。念のため下着は総て塩素消毒し、入浴をやめて、シャワーで我慢して下さい。」と指示された。
心配していたコレラではないらしいので、安心した。「激しい下痢のため、重い脱水状態になっているので、点滴で水分・糖分とミネラルを補給します。」との指示を受け、ベッドで多量の点滴を受けた。頻繁な激しい下痢が続いていたので、受診中の我慢が難しいと心配して、吸水剤入りのおむつを着用していた。長時間の点滴中にお腹の異常を感じてもトイレに行かず寝たままで済ませることができて、楽であった。点滴器具を引きずって、たびたびトイレに行くのは大変である。
医師はこの病気に効く薬はないと言って、乳酸菌製剤を処方して、「スポーツドリンクと紅茶を下痢の量に見合うだけ飲むこと、下痢が激しく辛くとも下痢止めを服用しないこと。明日も激しい下痢が続けば、点滴で水分・糖分とミネラルを補給しなければならないので、来院すること。」ときつい口調で指示された。

昼食と夕食を絶食して、安静にしていたら、翌朝から少しずつ快方に向かい、翌日の昼食には軽い食事を摂ることができた。食事に気を付け養生したので3日目にはほぼ快復した。発症時の症状は何時もの食中毒より激しく、コレラを真剣に疑ったが、激しい下痢は短期間で軽快し、体重の減少も3Kgであった。(コレラ?の時は激しい下痢が約一週間続き、体重は10Kg減少した。)今回はコレラ?の時のような後遺症は全くなかった。

後日、同期会に出席した友人たちに電話でそれとなく食中毒の発症を尋ねたが、該当者は一人もいなかった。またも私だけが食中毒に遣られたのであった。友人たちはロタウイルスに十分な免疫力があったのであろう。
医師に「この病気は乳幼児がかかる胃腸炎で、成人が罹患発病することは稀です。」と言われ、私のお腹の免疫力は乳幼児並みかと悲しくなり、医学書を調べた。【ロタウイルスにはA、B、Cの3群がある。A群は乳幼児にみられ、冬から早春に流行する。C群は年長児や成人にみられ、早春から初夏にかけて流行することが多い。B群は日本での報告はなく、中国でみられる。】と記載されていた。乳幼児だけでなく、成人もアタックするウイルスであることを知り少し安心した。   
ノロウイルスには多くの変種があり、流行するウイルスの形態が変化するため、免疫力の獲得はあまり期待できないと言われている。私は昨年の早春にもロタウイルスではないかと思われる下痢症を経験した。このウイルスも形態が変化し、免疫力の獲得は期待できないのであろう。あるいは、私のお腹の免疫力が異状に弱いのかもしれない。
殻つき牡蠣、貝の刺身と続けて貝に潜んでいたウイルスに酷く遣られ、醜態を曝してしまったので、貝は大好物であるが、当分口にしない決心をした。
G.P.S.(Dr.GERI)

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