特別投稿 GPS No.1

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投稿者/G.P.S.     No.1     2007/02/12

マンゴーシャーベット … 新鮮

10数年前の退職直後、シンガポール、タイを観光して夜行便で早朝帰宅した日の朝食後、激しい腸内の異常な動きを感じて、トイレに急ぐと、土石流のように多量の下痢をする。
発症時には、海外旅行でよく経験した、腸炎ビブリオの下痢症と考えていた。しかし、経験したことの無い、長く続く激しい下痢症状、急激な体重の減少、コレラに特有と言われる顔の窶れから5日目には、コレラを真剣に疑うようになった。
旅行中は、飲み物、食べ物にずいぶん注意し、生水、生ものなど絶対に口にしなかった。最後の行程で古都アユタヤに行き、メコン川を船で下り、バンコックに戻ってきた。
船の甲板は暑く、喉が渇いた、その時マンゴーのシャーベットが配られた、果物で作ったものなので、安全と思い食べた、素晴らしく旨い、お代わりをした。思い当たる食中毒の原因はこれしかない。妻は同じものを一杯だけ食べたがなんともない。

1日目、朝の土石流のような多量の下痢の後、しばらくすると、空になったお腹の中に水が湧き出して、激しく動き回るように感じ、トイレに急ぐ。カレールーのような液体に未消化の固形物が混じった激しい下痢をするが、腹痛、吐き気、発熱は無い。
夜行便の疲れでしばらく仮眠する。強烈な腸内の異常な動きを感じて目覚め、トイレに駆け込み、滝のような激しい下痢をする。その後1時間位ごとに、激しく下痢が続く。
褐色の粘り気のあった液体の色が薄くなり、サラサラな水瀉便になって、水柱のように激しくほとばしる。喉が異常に渇き、用を済ますたびに、紅茶、スポーツ飲料を飲む。水分を多量に取るが、小水は僅かしか出ない。

2日目、絶食を続けるが、症状が激しくなる。お腹の圧力を堪えることができない。無理に堪えていると、肛門の周りが急に濡れてきて、あわててトイレに駆け込むと、水瀉便が激しい勢いで噴き出す。掛かり付け医師に診て貰いたいが、この状態では、外出できない。
救急車を呼べば、伝染病を疑われて、有無を言わせず、隔離病棟に送りこまれると思い、少し軽快したら、掛かり付けの医院に行こうと考えて、ベッドで静かに休む。
腸炎ビブリオの場合には、2日目には快方に向うが、今回は少しも治まる気配が無い。夕刻になっても医院へ行くことができない。ベッドとトイレの間を日に20回以上往復する。
症状が厳しいので、伝染性の病気を疑い、感染防止ため、寝室横のトイレを私の専用にする。入浴を控え、シャワーにする。下着はすべて塩素系殺菌剤で消毒する。

3日目、水分しか口にしないが、症状はさらに激しくなる。薄黄色で半透明の水瀉便が30〜40分ごとに激しくほとばしる。経験したことのない激しい症状なので、家庭医学書を見る。コレラの症状に似ている。インターネットでコレラの症状を調べる。この結果、大変なことかもしれないと、不吉な胸騒ぎがする。
最近流行しているエルトールコレラでは、十分に水分補給すれば、死亡率は数%程度とのこと。特効薬はなく、抗生剤の効果も初期に使えば下痢の期間を少し短縮する程度とのこと。他者への感染の防止が大切であるが、赤痢のときに習得したので、自信がある。
幸い、嘔吐はないので、経口で水分補給できると考え、少し落ち着くまで、自宅治療を決心する。海外出張の時、重い下痢症を働きながら、自分で治した経験と自信があった。
発症以来の絶食と昼夜の別なく続く激しい下痢のため体重が急激に減少し、体力が急速に衰えて、強い危機感を覚える。水瀉便の猛烈な下痢以外に腹痛、発熱などの症状は無い。
コレラが怖くなり、掛かり付け医師に診て貰いたいが、医院へ行く体力が無くなった。
ふらつく体で、頻繁に、急いで、トイレへ通うのはとても大変である。寝たままで用が足せる専用ベッドがコレラ病棟にあるとインターネットで見た。羨ましい、使いたい。
苦境を見かねた妻から、差し込み便器かおむつの使用を勧められたが、事後に処理する者への感染防止のため、辛いけれども、トイレに通いを続ける。

4日目には、体力が著しく低下して、頻繁なトイレ通いに耐えられなくなり、水分の摂取量を控える。水瀉便の量は減少するが、頻度はあまり変わらない。体液が搾り出されるのか、お腹に少し力を入れると薄黄色の少し濁った液体が、細い筋のように噴き出す。
経験のある下痢症ではこの程度の水分摂取制限をすると、下痢の頻度が緩和したが、今回はあまり変化しない。喉が渇き、脱水症が怖いので水分の摂取をそろりと再開する。
「コレラの毒素コレラトキシンの作用で、筋肉細胞内外の体液が、小腸の繊毛から大量に滲出させられるため、筋肉が急速にやせて、皮膚の張りが無くなる」と医学書にある。
鏡で顔を見ると、窶れて、目が落ち窪み、頬がこけているのに驚く。医学書には「コレ
ラ患者特有の顔の窶れをコレラ顔と言う」と記載されている。
「体重の15〜20%相当の体液を失うと血圧低下、多臓器不全を起こし、生命の危険に至ることがある」とも医学書に書かれている。

5日目、夕刻に体重を量る。発症前の67Kgが57Kgになった。10Kg(15%)減少し、体液の25%位が搾り出されたことになる。生命の危険域に踏み込んでしまったらしい。
水分の摂取量を控えているからか、下痢の頻度が少し穏やかになり、量も少なくなる。快方に向いているのか、脱水症状が出てきたのか判断に苦しむ。今までに経験した症状とは質的に違うので、明日になっても回復の兆候が無ければ、救急車で入院の決心をする。

6日目の朝から、下痢の回数と量が徐々に減少し、噴き出す勢いも穏やかになった。
心配した脱水症状の兆候は無い。怖々、ヨーグルトとすりおろした林檎を少し口にした。
自力で回復できる望みが見えてきたので、入院を先送りする。

7日目の昼から、症状が更に穏やかになり、ものを食べる意欲が出てきた。1週間ぶりに林檎と紅茶で軟らかくしたパンを口にする。林檎が旨い。

8日目の朝、昨日口にしたものが消化された姿で、回復の兆を告げてくれた。
「死の淵?からの生還」の喜びを妻とともに満喫する。

体調の回復に合わせて、ゆっくりと食事を平常に戻すと、体重は5Kgだけ徐々に回復した。しかし残りの5Kgは容易に回復しない。完全に回復したのは3年後である。

発症時には、腹痛、嘔吐、発熱が少しも無いため、苦しさを感じなかった。急激、強烈で頻回のアタックは辛いが、激しくほとばしる下痢を無事済ませると、すっきりし、爽やかな感じさえあった。このために、いつものお腹の病気が少し重症化したものと判断して、掛かり付け医師の治療を受けることに拘り、発病初期の対応に失敗したのである。

早期に入院して、抗菌剤などの適切な薬物を服用し、点滴を受けていれば、経過は軽く、回復後に長く続いた後遺症に悩まされなかったと反省している。

体液の25%(10Kg)が搾り出された7日間にわたる150回以上の激烈な下痢が、体に与えたダメージは、ほかの下痢症のダメージとは本質的に異なる厳しいものであった。
喉が乾き、3,000ml以上の飲料を毎日飲んだ(脱水症が怖いので、用を済ますたびに180ml位の水分を紅茶、スポーツ飲料で摂取するよう心掛けた)ので、下痢の総量は20,000ml(20Kg)を超えたであろう。排泄されたミネラルの不足(特にカリウム)が体に与えたダメージが大きかったようである。(入院していれば、点滴で適切に補給されたであろう。)
搾り出された筋肉細胞内の体液を元に戻すのに3年を要し、その間後遺症に悩まされた。

回復後まもなく右手が痺れる、首を回すと激しく痛むことに悩まされ始めた。整形外科を受診すると、頚椎から右腕に出ている神経が圧迫されている、何らかの原因で椎間板の厚みが減少したのであろうとの診断である。椎間板内の体液減少が原因と自分で納得した。
頚部の加温と牽引を3年間続けた。体重が完全に回復するとともに痛みも自然に解消した。

医師に診てもらうことなく、細菌検査も受けていないので、コレラと断定できないが、家庭医学書に記述されているエルトールコレラの症状に限りなく近いものであった。
ただし、水瀉便の色は重症コレラに特有と言われているミルク色にはならなかった。

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